丸谷才一『恋と女の日本文学』は、簡単に言えば本居宣長を攻撃するのが大好きな丸谷才一が宣長を攻撃するために書いた本である。丸谷才一という人は、戦後民主主義のホルマリン漬けみたいな人であって、思想的には大江健三郎や井上ひさしなんかに近い。國學院大學にいて国文学にものすごい影響を受けているくせに左翼だからものすごく屈折している。
で、本人は本居宣長を攻撃しているつもりなんだが、誰も怒ってくれない、放置プレイ状態だからますます彼の論説は過激になっていく。
宣長はただ一般論として儒学を攻撃しているのではない。彼は実際に講義を受けた堀景山を批判しているのだと思う。彼は凡百の儒者に過ぎなかった。その講義があまりにもつまらなかった。堀景山は反面教師としてそうとう宣長に影響を与えたのだろうなと思う。
中国人は偽善者で嘘つきだ。それが中国文学の原理である。
p.72
ここで「中国人」を「堀景山」に読み替えると意味がすんなり通ると思う。当時の儒学者、武家というものは、多かれ少なかれ偽善者で嘘つきだった。「蘆わけ小舟」は景山に学んだ宣長の卒業論文のようなものだった。普通は恩師のことを褒めなくてはならないのだが、宣長は景山の人柄はともかくとして学問や思想に決して共感できないところがあり、
それを批判したのだろうと思う。もちろん、宣長は景山なくして契沖に出会うことはなかった。ただそれだけでも、宣長が景山を尊敬していたことは間違いない。
丸谷才一は、儒教文化と日本文化を対比させて話をしたがるのだが、日本はインドからも大量の説話を輸入していて、そこには男女の愛憎や肉欲なんてものは、いやというほど描写されている。日本文学は中国と比べれば退廃的かもしれんがインドと比べれば全然清楚なほうだ。日本はただその両極端を知識として知っていただけだろう。
宣長の歌がからつ下手で
(p.63)
宣長の生涯には不思議なことが一杯あるが、とりわけすごいのは、どうしてあんなに和歌が下手だつたのかといふことである。『新古今』が大好きで、何とかしてああいふ歌を詠みたいと念じながら生き、学び続けた人なのに、本当に才がなかつた。才のなさが凡庸ではなかつた。しかもさういふ人の歌のなかでもとりわけひどいのが人口に膾炙することになつた。言ふまでもなく山桜の歌だが、
(p.86)
などと書いているのだが、思うに、定家全集なんか読んでいると定家もそうとう大量の退屈な歌を詠んでいる。実際定家の歌で面白い歌なんてのはめったになく、たまたまあっても奇をてらった嫌みなやつか、本歌取りのきどったやつ。見えてくるイメージは学者の家に生まれ育った秀才、というのみ。父親の俊成のほうがずっと歌はうまいと思うのだが。で、
『新古今』が大好きで、何とかしてああいふ歌を詠みたい
などとは宣長は思ってない。京極黄門藤原定家のような歌が詠みたい、と思っていただけであり、後鳥羽院や西行みたいなぶっとんだ歌が詠みたいと思っていたわけではない。これらの天才肌の感覚派の歌は後世の京極派に通じるところがあって、むしろ宣長は嫌っていた。霊感によって自由自在に詠む歌というものを宣長は否定している。
定家の地名百首みたいなつまらん屏風歌みたいのを大量生産するのが宣長の好みであった。宣長はかなり忠実な定家の追随者だと思う。
俊成や後鳥羽院や西行の歌を、普通の歌人は真似ることはできない。方法論がない。天才の歌を凡人が真似ることは不可能だ。しかし、定家の歌を真似ることはできる(追記。下手くそな歌詠みのために定家が作ってやったテンプレをみながありがたく使うという意味)。ピアノで言えばバイエルみたいなもん。だから定家は家元になり得たし、信者を大量に獲得できたのである。その一人が宣長だったのにすぎない。それは宣長自身が言っている。京極派を毛嫌いするのもそこだろう。京極派を学んでも凡人は京極派の歌を詠むことはできない。しかし二条派の歌なら詠める。