山ノ内と扇ガ谷

たまたま梅雨の晴れ間で日差しが強くて良い写真が撮れそうなんで、
世界遺産に相手にされなかった鎌倉に行ってみた。
JR横須賀線北鎌倉駅辺りが山ノ内であり、
その南隣、北鎌倉駅と鎌倉駅の間くらいが扇ガ谷。
地名表記は「山ノ内」と「扇ガ谷」であって、「山内」でも「山之内」でも「扇谷」でも「扇ヶ谷」でもない。

だいたいにおいて上杉氏は「山ノ内」上杉氏と「扇ガ谷」上杉氏が有名なのであって、
それぞれ鎌倉にいたときは山ノ内、扇ガ谷をもともとの本拠地としたのである。
その地名が未だに現役で使われているというのはやや驚きもある。
まあ、歴史的に有名だから今もその地名が使われているということもあろう。
山ノ内と扇ガ谷の間は小高い山であり、亀ヶ谷坂切通しという狭い山道が通っている。

山ノ内というところはつまりは関東管領上杉氏の本拠地であるから、
でかい寺がある。
つまり、円覚寺と建長寺。
どちらにも国宝の鐘がある。
建長寺の鐘は五代執権北条時頼が、
円覚寺の鐘は九代執権北条貞時が作らせたものだ。
鐘というものは案外古いものはなくてかつ国宝で現在も使われているものが、
こんなに近くに二つもあるというのは珍しい。
珍しいんですよ、これは実はね。
京都にも三つ国宝の鐘があるらしいのだが、
どうも今は使われてないらしい。
飛鳥の法隆寺や薬師寺も昔ながらの鐘が使われているとはとても思えない。
奈良の興福寺や東大寺なんかも。

たとえば知恩院の鐘がでかいといってもあの寺は徳川家が天下とってから大を成したものであるから、そんなに古くはない。
金閣寺や銀閣寺が室町時代のものであるように、
実は京都の建造物の多くは室町や江戸に出来たもので、
さらにそれを明治になってから復興したものであって、
鎌倉のように北条氏の時代の鐘が残っているというのはやはり珍しいのである。

にしても、鎌倉は人が多い。東京から近くて気やすいのもあるし、
観光客以外に高校生もいるし、
あじさいの季節だというので大勢くりだしてくるし、
週末だったのでもう地獄だった。
京都と違って鎌倉は山だしな。
道は狭いわ人混みはひどいわ車は多いわでもうこれで世界遺産なんかになった日には目も当てられんだろうね。

扇ガ谷には大した寺はない、山ノ内に比べると。

鎌倉時代には御家人たちは鎌倉にみしっと集中して住んでたんだろうね。
それが鎌倉の防衛力ともなった。
しかし室町時代になると鎌倉以外の関東各地へみんな散っていってしまった。
鎌倉の相対的な価値が低下した。
鎌倉だけをきちんとまもるというやり方が廃れてしまったんだろうと思う。

円覚寺と建長寺は鐘が国宝なだけでなくて鐘楼がなかなかよろしい。
たぶん古いものなのだろう。
京都の鐘楼でがっかりするのは完全に鐘を囲ってしまって外から見えなかったり、
消化器がおいてあったり、現代風の柵が巡らしてあったり、変な立て札があったりして、
美的景観が台無しだったりすることだ。
円覚寺と建長寺の鐘楼は良い。
カメラを向けるときちんと北条氏の時代の姿で写ってくれる。
そこがまた珍しい。

上杉氏は、北条執権時代には宮将軍の世話係としての性格が強いから、
京都から来た将軍のために山ノ内にせっせと寺や鐘を作ってあげたのであろうか。

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