明治天皇記

『明治天皇記』を読んだのだが、明治時代に『明治天皇記』という書物が出版されるわけもなく、
これは大正以後に、侍従などの日記をもとに書かれたものだから、一次資料はそのもとの日記などを参照するしかない。
めんどうだな。
で、鎌倉宮の創建は確かに明治2年2月の勅命によるものなのだが、同じ箇所に記述されている、
井伊谷宮は明治5年2月創建のはずであり、明治2年の箇所に書くのは紛らわしいのではないか。
また、鎌倉宮の摂社、村上社と南方社は明治6年11月22日に創建となっていて、
明治6年4月16日に御幸した後に作られているようなのだが、
やはり『明治天皇記』の同じ箇所の記述では、その時系列が極めて曖昧だ。
井伊谷宮や村上社、南方社についても明治2年2月になんらかの勅命があったということなのだろうか。

Visited 16 times, 1 visit(s) today

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA