司馬遼太郎の「義経」をさくっと読んだ。
まず、一番の大きな問題は、一ノ谷の戦いを、司馬遼太郎は歴史的事実とみなしているらしいのだが、
たぶん一ノ谷の合戦は平家物語のフィクションなのだ。
なぜなら当時の公家の日記にはまったく記録がないからだ。
平家物語が言うほどの「義経の奇襲」による圧倒的勝利であればそれなりの一次資料が残ってなくてはなるまい。
しかし何もない。
頼朝がわざと義経の戦績を黙殺したというよりは、もともと何もなかったと考えるほうがずっと自然だ。
そして、司馬遼太郎の悪い癖は、頼朝と義経の間の骨肉の戦いを書いてないということだ。
そこが彼の嫌らしいくせ、見たくないものは見ない、書きたくないものは書かない、
好きなものだけ空想でどんどんふくらませて書く。
ロジックに一貫性もなければ普遍性もない。
ということではないか。
もし、義経が、数十騎、数百騎の奇襲戦法で何万という敵に奇跡的な勝利を得た天才だとすれば、
頼朝追討軍に対しても同じように勝利したはずではないか。
頼朝との戦争に勝っていればそれこそ何万何十万という軍勢が義経の下に集まって、頼朝を凌駕したはずだ。
しかし彼はあっという間に滅亡した。
おそらく義経はほんとうの戦争の天才ではなかったのだ。
少なくとも、ハンニバルや真田幸村やナポレオンや楠木正成レベルの天才ではない。
おそらく木曾義仲の方がずっと戦争はうまかったと思う。
私は、平家物語を読んでみて、保元物語や平治物語、吾妻鏡などとくらべてはるかに信頼できない、
単なるおとぎ話だと感じている。保元物語も脚色がひどすぎる。特に為朝とか。
吾妻鏡は歪曲ばかりだ。
しかし平家物語はもっとひどい。
義経と龍馬は同じようなものだ。
そして、乃木希典や頼朝は司馬遼太郎が嫌うタイプの人間だということだ。
司馬遼太郎は義経や龍馬などの、なんといえばよいか、バーチャルな、虚構の英雄を好む性癖がある、としか思えない。
歴史的事実はたぶんそれとはまったく違うと思う。