エウドキア

またまた[エウドキア](http://en.wikipedia.org/wiki/Eudokia_Makrembolitissa)の話なのだが、
彼女は1021年生まれ、
エウドキアの夫[コンスタンティノス](http://en.wikipedia.org/wiki/Constantine_X_Doukas)は1006年生まれで、
長男[ミカエル](http://en.wikipedia.org/wiki/Michael_VII)は1050年生まれなので、
父が44才、母が29才の時の子供だということになる。
当時としては、かなり遅くに生まれた子だ。
いやまあ、コンスタンティノスは再婚なので良いとして、エウドキアは何才で結婚したのだろうか。
それはほんとうに初婚だったのだろうか。
謎だ。
再婚どうしと考えた方がずっと自然である。
となると、エウドキアに連れ子が居た可能性だってある。
たとえば、エウドキアは最初すごく高齢のおじいちゃんと政略結婚したが、夫とはすぐに死に別れた、とか。
当時としてはあり得る話だ。

エウドキアはコンスタンティノスの二番目の妻で、一番目の妻は
Constantine Dalassenos の娘となっているが、ここでConstantine Dalassenosというのは、
[Damian Dalassenos](http://en.wikipedia.org/wiki/Damian_Dalassenos_%28duke_of_Antioch%29)
の子で1025年にアンティオキア公となった、その人のことだろう。年代がだいたいあう。
同じ名前の人が多くて、極めてまぎらわしい。
コンスタンティノスの一番目の妻の名も、子も知られてないという。
しかし、子はあった可能性の方が高い。
ただ知られてないだけで居たと考える方が自然だろう。
エウドキアの長女とされるアンナは生涯未婚で、次女と三女は結婚しているのだが、
どうもアンナは前妻の子だったのではなかろうか。

エウドキアの最後の子はコンスタンティノスだっただろう。1060年生まれ、エウドキアが39才の子。
ぎりぎりだろう。
1058年に娘テオドラを産んでいる。
しかし、その妹にゾエが居る。
ゾエは何才で産んだ子なのだ。
ゾエも、ほんとうは、ローマノスの連れ子なのではないか。
40才過ぎに当時子供が産めるとは思えないのだ。

エウドキアには次男[Andronikos Doukas (co-emperor)](http://en.wikipedia.org/wiki/Andronikos_Doukas_%28co-emperor%29)がいて、
またこのアンドロニコスにはいとこに
[Andronikos Doukas (general under Romanos IV)](http://en.wikipedia.org/wiki/Andronikos_Doukas_%28general_under_Romanos_IV%29)
がいる。
この二人は、極めて紛らわしい。
次男アンドロニコスは、コンスタンティノスではなくてロマノスに副皇帝とされているのだが、
これはロマノスの連れ子であることを暗示していないだろうか。
1030年生まれ(推定)の[ロマノス](http://en.wikipedia.org/wiki/Romanos_IV_Diogenes)が1068年に37才で結婚するまで独身でかつ子供もいなかったというのがそもそも不自然だ。

疑い出すときりがない。

ところで、バッハについても指摘を受けたのだが、
ヨハン・セバスチャン・バッハは二人の妻と二十人の子供がいたそうだが、
後妻のアンナ・マクダレーナは、20才で結婚して、22才で最初の子を産み、39才で最後の子を産んで、
全部で13人を産んでいる。
17年間に13人。
ちと多すぎる。
前妻マリア・バルバラは36才で亡くなっており、何才で結婚したかはわからないが、7人子供がいる。
仮に20才で結婚したとして16年間で7人。
少し多いくらいか。

なんというかなあ、バッハの子供が全員、二人の「正妻」の子だった可能性はかなり低いのではないか。
キリスト教国では、一夫一婦制だから、妻は必ず一人、愛人が居た場合は、正妻の子として引き取って育てたのではないかなあ。
母体の負担を考慮したら、二年に一人くらいしか産めないと思う。違うかなあ。
こんなことを疑っているのは、私くらいなのだろうか、そうなのか。

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