生きているのがめんどくさい

最近

むそとせを あがきあらがひ 生き尽くし あとは死ぬほか なしと思へど

生き急ぎ いそとせあまり ここのとせ むそぢをまへに 生き飽きにけり

うまき酒 飲めど飲まねど うまき飯 食へど食はねど 人は皆死ぬ

などという歌を詠んだりしたのだが、一つは一年かけて書いた本が脱稿して、60才を前にして、この世に書き残しておくべきものは書いたという達成感と虚脱感がある。明治天皇も59才で死んだのだが、彼は彼なりに59年間で良い歌をたくさん残した。樋口一葉、正岡子規、中島敦はもっと短命だったし、頼山陽や夏目漱石も決して長寿だったとは言えない。この先長生きしても酒を飲んで飯を食って死ぬのを待つだけで、生きている理由がほとんど見いだせない。

あともう一つ、またアブレーションの手術を来年2月頃に受けなくてはならなそうで、それでいい加減気分がよろしくない。46才の頃から何度も入院や手術を繰り返し、ICD交換とかアブレーションというのは緊急性があるわけではなく、数年おきのメンテナンスみたいなものではあるのだが、それでもこんなに病院通いが続くともう生きているのがめんどくさくていやになる。

あとさらにもう一つ付け加えるなら、年を取ると何をやっても面白くない。昔は酒を飲んで飯を食うだけで楽しかった。30代半ばは何をやっても楽しかった。二日酔いなんてしょっちゅうだったが、全然平気だった。今は酔いが残るのがめんどくさい。酒を飲んでいる途中はよいとして飲み終わってから翌朝まで、血の中にアルコールが残っている状態が不快だ。その不快さを逃れるためには酒をごく少量飲むか、あるいはいっそのこと飲まないほうがましという気になる。

ただ30才の頃の私には私なりにいろんな不満があっただろうし、今の私にはあの頃にはなかった平穏な日常があるのも事実。私の周りの人たちにきいても、別に60過ぎたから人生がめんどくさいとかつまらないなんて言う人はいない。たぶん気の持ち方次第なんだろうけど。ユーチューブで牛の牧場の動画などみると、こいつらみんな肉になるために水飲んで草食って生きてるんだなあという気持ちでしかみれない。

金と時間が有り余るほどあって仕事もしなくて良い身分なら日本中のアパホテルを泊まり歩こうかなんて考えてたこともあったが、そんなことしてもたぶん大して面白くはないんだろうなと思う。高級旅館とか高級料亭なんかに行きたいとも思わない。温泉も別にどうでも良い。しばらく浅草あたりとか、大阪とか京都なんかに住みたいなと今でも思わんこともないが、しかしそんなことしなくて死んだとしてもたぶん何も悔いはないと思う。

実際、1年かけて20万字くらいの本を書くとどっと疲れてしまう。20万字というが実際には50万字くらい書いて削って足して削って足して、20万字程度に抑えているのだ。そんなこんなを2度も3度もやってはたまらないという気になる。もうゆっくり余生を送りたい、そんな気になってもしょうがあるまい。

エウメネスに至っては現時点で全部で50万字は軽くあって、あれを死ぬ前に完結させて(完結はしてるんだが自分の納得できる形に完成させて)紙の本でだしておこうとおもったらどれほどたいへんだろうか。どこも出版社がのってこなくても KDPのペーパーバックで出すことはできる。それに特に費用はかからないから、やろうという計画はあるのだけど。なんだかんだいってあれが結局私の代表作なのだよな(少なくとも小説は)。

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