イスラム教がなぜこれほど世界で普及しているのかについて、よく考えるのだけど、思うに、宗教というものはもともと王が主宰者となって、王族や支配階級だけを縛るものだったと思う。祭政一致とはつまり、国というかソサエティというかあるいはコミュニティというか、もっと原始的に言えば人間がシノイキスモス(集住)というシステムを採用するに当たって、作られたものだと思う。

古い素朴な宗教は王とその周辺しか束縛しなかったから、人の集団が持つ力も弱かった。しかしバラバラに暮らす人たちに対して、多数の人の気持ちを一つの方向に向かわせる集団の方が明らかに生存に有利だった。

単純素朴な自然宗教はだんだんと教義を持ち、聖典を持ち、聖職者や教会などの組織を持つようになった。それでも人々を束ねる拘束力はまだ未発達だった。

フランス革命が成功したのは、王族や領主だけではなく、一般民衆、無産階級までも軍事力に編入したからだ。どんなに王軍が強くとも、徴兵制によって集められ組織化された圧倒的多数の国民軍のほうが強いということが証明された。

アリのコロニーにしても、良く働くアリと、普通に働くアリと、サボるアリがいる。古い宗教は良く働くアリだけを国家権力に動員できた。中世の宗教は普通に働くアリまで動員できるようになった。そして一神教は国王の権力から切り離されて民衆の宗教として成立した。社会の少数派の王族ではなく多数派の民衆がコントロールできる宗教が成立した。そうすると軍隊の規模が違うから新しい宗教が古い宗教を駆逐してしまう。民衆が王を排除して、もしくは王を取り込んで国を乗っ取ってしまう。ギリシャやローマの多神教がキリスト教に駆逐されてしまったのはそうしたわけだった。カール大帝がローマ教皇に戴冠されることによって民衆の支持を集めたようなものだ。王は宗教の権威を借りるようになった。

さらにイスラム教はキリスト教をさらに発展させて、日常生活も、心の内なる良心も、金持ちから貧乏人まですべて、民衆を支配することに成功した。宗教が普及するのに重要なことは、一部の力あるもの、一部の頭の良い者たちに支持されることではない。社会を構成するありとあらゆる人種、階層の人間をまんべんなく、その生活から精神までも支配することだ。それまで見捨てられていた、かえりみられなかった人々まですくい上げてメンバーに加えることだ。ホメイニ革命を見てもわかるように王や一部の富裕階級に支配されるよりは、民衆は自分が少しでも参画できる、民衆から出てきた指導者に従いたがる。民衆は王をとりこめなかったから追放してイスラム共和国を作ってしまった。

結局民衆は支配されることを欲しているし、王のような独裁者ではなく、万民に通用する普遍的な慣習に支配されたがる。日本が今や法治国家になったのもそれと似ている。24時間365日完全に支配されることを欲している。そしておおぜいがわーっと暴れればどんな政府も転覆してしまう。暴動にしろ革命にしろ戦争にしろ結局数で世の中は決まってしまうのだ。イスラムは数に強い。清濁併せ飲み、老若男女、異なる民族(特に宗教的にナイーブな、人口も多い民族)をみんな巻き込んでしまう普遍性をもっている。だから普及しているのだ。

キリスト教が2000年経ってもまだまだ平気なように、それよりか600年遅れて成立したイスラム教はまだ何百年も先まで人間社会を縛るだろう。それになによりイスラムは新興宗教の先進地域である西アジアで生まれた。ありとあらゆる宗教が生まれてはとってかわられる激戦地で生き残り繁栄した。強いに決まってる。

Visited 43 times, 1 visit(s) today

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA