本棚から出てきた岩波文庫版の源氏物語を読み始める。
今、桐壺から帚木の途中まで。
平家物語よりは難しいが太平記やら吾妻鏡などに比べれば読めるか。
なにしろ源氏物語レベルになると攻略本も walkthrough もなんでもありだと思ったが、
案外 wikipedia なども使いにくく、
間違いもあるようだ。
たとえば弘徽殿女御は左大臣家の人物となっているが、右大臣家でないと話が通らない、など。
フリーの現代語訳は
[渋谷栄一訳](http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/)と、
[与謝野晶子訳](http://www.genji.co.jp/yosano/yosano.html)がある。
渋谷訳は直訳調でなんかわからんことが多い。
与謝野訳は、かなり意訳してある。
たとえば、
桐壺で、
> 里の殿は、修理職、内匠寮に宣旨下りて、二なう改め造らせたまふ。
とあるのを、渋谷訳は
> 実家のお邸は、修理職や内匠寮に宣旨が下って、またとなく立派にご改造させなさる。
とあり、与謝野訳は
> 更衣の家のほうは修理の役所、内匠寮などへ帝がお命じになって、非常なりっぱなものに改築されたのである。
とある。
源氏は元服して左大臣の娘・葵の上と結婚したので、里の殿とは左大臣家のことかと思ったが、
これは要するに妻の実家であるから他人の家なわけで源氏が
「かかる所に思ふやうならむ人を据ゑて住まばや」などと思うはずがなく、また左大臣家は「大殿」と書かれている。
渋谷訳では「里の殿」を「実家」と訳しているだけだが、
与謝野訳では「更衣の家」、つまり源氏の母である桐壺の上が生まれ育った実家であることが明示されていて、
わかりやすい。
ただ「宣旨下りて」を「帝がお命じになって」まで意訳する必要があるかどうか。
その他の場所もだいたい同じ。
「いかで、はたかかりけむと、思ふより違へることなむ、あやしく心とまるわざなる」を
与謝野「意外であったということは十分に男の心を引くカになります」と訳すのはやり過ぎではないか。
渋谷「どうしてまあ、こんな人がいたのだろうと、想像していたことと違って、不思議に気持ちが引き付けられるものです」
程度に訳した方が無難ではなかろうか。
渋谷訳はたぶん現代語読んでも逆に良くわからんところがある。
与謝野訳は意味は良くわかるがそのままでは原文のニュアンスが伝わらないところがある、というところか。
原文読みながら参照するのであれば与謝野訳が良い。