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リビングのテーブルに厚手のビニールのシートを敷いて、テーブルとビニールシートの間に地図を挟んで眺めたりしている。今は北海道を眺めているのだが、最初はなんとも思わなかったが、見ているうちにだんだん強い圧を感じてくる。北海道の上を何万という熊が歩き回って、オレタチ、ニンゲン、クウ、みたいなことを熊語で呟いているような気がする。昭文社の地図なのだが、択捉島が右下に別枠で描かれていて、それをハサミで切って右上のほうにつないでみたのだが、どうも縮尺が合わない。ほんとうの択捉島はもう少し大きいはずなのだ。こういうことをされると困る。デジタルの地図なら、指で広げて大きさを変えられるのに紙の地図では拡大縮小できなくて困る。

北海道には振興局、総合振興局というのがあちこちにある。それが行政区域になっているらしい。国が予算をかけて振興しないことにはあっという間に原野に返ってしまうのだろう。明治になって鉄道を通してやっと北海道は開拓できるようになったわけだ。江戸時代の徳川幕府がしり込みして大して開拓しなかったのもわからんでもない。私が老中松平定信の立場だったとしても、敢えて手をつけようという気にはならなかったと思う。今から思えばロシアが南下してくる前に幕府が直轄領でも作って管理してればよかったのにと思うが、当時は思いもよらなかったのに違いない。イギリス人が罪人をオーストラリア送りにしたように、徳川幕府も罪人を国後島とか択捉島とか樺太なんかにどんどん流せばよかったのに。そうしたら彼らが勝手に自活して開拓したんじゃないかと思ってしまう。

何もやる気が起きないので何もやらないよりはとブラウザのブックマークの整理をしたり、はてなブックマークをせっせとつけたりしている。はてブをつけるのはおとなり日記という機能を使って、私の読みたい日記を自動的に見つけてほしいからだ。

複数のPCで chrome を使ってブックマークを共有するとブックマークにどんどん重複ができてきて手に負えなくなる。それをちまちまてまひまかけて整理したりなどした。

宣長、小林秀雄、三島由紀夫などで検索すると割と面白いブログはみつかるのだが、たいていみんな読書感想文程度のことしか書いてなくてがっかりする。そもそも面白いブログを見つけたからといってどうだというのだ、いったいこんなことをやってなんの役に立つのかと思うが、あと20年ばかりの人生、どうせ20年経つ前に飽きてしまうんじゃないかと思うので、長すぎることはあるまいと思っている。

松岡正剛の千夜千冊なども非常な労作だとは思うが、いま改めて読んでみると大したことは言ってない。本から本へ、次から次に横断していくだけであり、著者や、思想に沿っていったりきたりたどったりといった読み方はしてない。例えばだが、宣長から真淵へ移ったり、また真淵から宣長に戻ったり、さらに荷田春満や契沖に行ったり、そこから伊藤仁斎や荻生徂徠へ行ったりという読書はしていない。そういう読み方をしているかのように見えるところもあるがそうではない。一冊の本を頭から終わりまで読んでその感想を書いているだけだ。たとえば「吉川幸次郎 仁斎・徂徠・宣長」でも、吉川幸次郎が「仁斎・徂徠・宣長」という本を書いたから彼らをパラレルで論じているだけのことで、それ以上の深みはない。

映画ならば頭から最後まで見ましたというレビューでもよかろう。単独の本の感想もそんな感じでよかろう。しかしそれだけが読書であろうか、と思わせる。読書とははたして一冊で完結するものなのか。一著者で完結するものなのか。一時代で、一国で完結するものなのか。小林秀雄などは『本居宣長』で、あちこち寄り道したり、バックトラックしたり、そんな読み方をしていたし、だからこそあの著作は読んでいて非常に骨が折れる。

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