歴史の連鎖

川越素描で、

> だいたい日本人の好きな日本史というのは戦国か幕末維新である ・・・ それから、神話時代から平安鎌倉まではロマンもあって好きな人も多い。江戸時代は時代劇に使われる機会が多くて親しみやすい。比較的人気がないのは南北朝、室町である。特に建武の新政から応仁の乱までのぐちゃぐちゃした辺りが好きだというのはよっぽどの物好きである。

> どうしても室町の時代背景を書かねばならぬ。特に応仁の乱の頃のひどく人間関係が複雑で、スターもヒーローもアイドルも居ない泥仕合の時代を書かねばならぬ。

> 菜摘自身は、足利将軍家や室町時代がさほど嫌いでもないのだが、一般人はそうではない。嫌いである以前に無知無関心である。そういう連中にくどくどと説明しなくてはならないのが億劫なのだ。先日も清水の「特論」の講義で菜摘がかちんときたことがあった。清水が言うには、「南北朝や室町時代は中世の暗黒時代」である。特に応仁の乱の頃は「政治が廃れた」一方で、逆に能や書院作りなどの日本特有の「文化が栄えた」時代であって、「今の平成の時代とよく似ている」のだそうだ。《だめだよそれじゃあ。財界人や、司馬遼太郎にかぶれた連中がそういうわかったようなことを言うことはあるかもしれないが、歴史の専門家が、室町時代を「政治が悪く文化が栄えた戦後日本に似た時代」などと乱暴に決めつけてしまっては、日本の歴史というものは、永久に理解できないだろう。できるはずがない。まるきり違うものなのだから。室町時代は典型的な地方分権の封建時代。分権しすぎて政治が乱れた。今の日本は東京一極集中の議会制民主主義の時代だ。どこをどう比べれば似ているのか。》

などと書いていたのだが、最近思うに、南北朝や室町が嫌いとか、平安から南北朝への連絡、また、
室町から戦国への連絡がよくわからん、というのは、実は戦後の傾向であって、戦前の日本人はそうは思ってなかったのだろう。
というか、戦前と、その60年後の今では、歴史認識にも相当な進歩があるから、現代人の方がより深く日本史というものを理解しているのには違いない。
しかし、戦前の日本人は日本史というものを比較的連続な現象として把握しており、
どこの時代は理解できるがどこの時代はわからん、などということは少なかったように思う。

平家物語や太平記は発禁になったわけじゃない。原典は読めるし、
戦後も吉川英治の「新・平家物語」とか「私本太平記」などのような形で普及している。
だが、平家物語も太平記も、ありのままの形で鑑賞されているとはいいがたい。
間に入っている教育業界や出版放送業界によっていかようにもその印象は操作できてしまうのだ。
南北朝は変な時代だとか南北朝はダメな時代だとかそういう教育、そういう空気が世に満ちると、
みんな自分で確かめもせず、よみもせず、だいたいそんなものなのだろうと思ってしまう。

しかし、虚心に原典を順番に読んでいくと、特に太平記が特別難しいわけではなく、平家物語が非常に簡単なわけでもない。
戦国時代などは資料が少なくてわからんことの方が多いし、
江戸時代とても、そんなにふんだんに文献が得られるわけでもない。
原典を読むのはだいたいどの時代でも難しい。
それを、わかりやすいよう、理解しやすいようにする連中が、ある種の意図でもって、
太平記は難しくて偏向してる、平家物語は面白くてわかりやすい、などと言っているにすぎない。

日本史を一つの連続体として解説した割とまともな著書としては新井白石の「読史余論」と頼山陽の「日本外史」がある。
戦後の日本ではそういう教え方はしない。
まず、「日本外史」と「太平記」は教えなくなった。「読史余論」をじかに読むやつなどいない。
そうするとどうしても南北朝や室町というのは、ぼんやりとぼけてしまってわからんようになる。
で、なんで山名と細川が内戦始めたの、なんで義政は将軍のくせにあんな無気力なの、わけわからん、
尊氏も後醍醐天皇もどっちもどっちだな、戦争なんかやるのが悪い、
とまあこのくらいの認識になってしまう。

新井白石は実に頭が良くて、なぜ天皇の時代が武士の時代に移り変わったかということを、おそらく日本で初めて、
理知的に解説してみせている(白石の他の著書なども合わせ読むと、彼がごく普通の常識人であり、現代人とほとんど違わない感覚をもっていることがわかる)。
頼山陽はそういう武家の通史的な発想を全面的に受け入れつつ、北畠親房的水戸学的方向、
つまり天皇家中心の方向へ修正し、かつ、読み物として面白くなるよう軍記物的エピソードをちりばめている。

昔は「太平記読み」などと言ったように「太平記」はかなりメジャーな読み物だったが、戦後は皇国史観の源泉とみなされ排斥された。
歴史を擁護しているようでその封殺曲解に一番貢献しているのは司馬遼太郎だ。
彼は室町・南北朝を描かないし、平安時代は義経しか書いてない。
戦前の史観を戦後民主主義史観で置き換えるためにいろんな無理をしているせいだと思う。
それはしかし戦前の軍国主義者がやったことと何ら変わりない。自分の主義主張のために演出を加えているだけだからだ。
そのため時代間の接続がぶつぶつにされて、良い時代と悪い時代があるとされた。
連続に変化してきたその、なんちうか、一連の変動としてとらえる目が失われた。
ああやって、自分の好みの時代だけを切り取って、自分の都合の良い解釈をすれば、
歴史全体の流れはまったくわからんようになる。白石が苦心したのはそこだ。日本史全体の整合性はどうなっているのか、と。

私は、新井白石「読史余論」、頼山陽「日本外史」的な史観をもう少し丁寧に修復すれば良いだけだと思う。
これらの史観に偏向がないとは言わないが、今よりはまだまともだろう。
江戸時代の著作だから今から見れば誤謬もあろうがしかし、もともと戦前はおおまかにどのような歴史観があり、
戦後の歴史観のよろしくないところに気付くには良いものだ。

日本外史の愛読者の一人だからそう思うだけかもしれんが。

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