敷島

さて、「しきしまの」という言葉の用例を[和歌語句検索](http://tois.nichibun.ac.jp/database/html2/waka/waka_kigo_search.html)
で調べると、
なんと、続後撰集が一番古い。
つまり、このデータベースは古今集から後なので、
万葉時代には枕詞として使われていたが、その後長く忘れられており、
千載集の序で

> 敷島の道も盛りにおこりて、言葉の泉いにしへよりも深く、言葉の林いにしへよりも繁し。

> ただ、仮名の四十あまり七文字のうちをいでずして、心に思ふことを言葉にまかせて言ひつらぬるならひなるがゆゑに、
三十文字あまり一文字をだによみつらねるものは、出雲八雲のそこをしのぎ、敷島山と御言のさかひに入りすぎにたりとのみ思へるなるべし。

という言い方でもって和歌のたとえに使われてから、
さらにちょっと間をおいて、つまり俊成・定家がいなくなったあとの続後撰集から猛烈に使われるようになったということだ。

それで、続後撰集の後の用例でも「敷島のやまとしまね」もときどきあるが、
多くは「敷島の道」「敷島のやまと言の葉」という使われ方であり、ずばり和歌を言うのであり、
高氏なども頻繁にそういう使い方の歌を詠んでおり、
その用例の多さからして以後は単に「敷島」と言っただけで和歌を暗示していると言って良い。
宣長の歌の中からざっと用例をあげると、

> しきしまのやまとにもあらぬここちしていとど浮き寝の韓泊かな

韓泊とは姫路あたりにあって外国船がかつて出入りした港のことのようだ。

> しきしまのやまとにはあらぬ山水にかき流すべき言の葉ぞなき

から国の景色が描かれた屏風絵に書くような和歌は無い、と言っている。
このように、宣長は「やまと」という言葉を外国と区別する意味に使っていることがわかる。

> しきしまのやまと恋しみ白鳥のかけりいまししあと所これ

これは熱田神宮にあるヤマトタケルの白鳥陵を詠んだもの。

> 敷島の 道まもるてふ 神垣に まぢかき里の しるしあらば ・・・ (長歌)

> 敷島の道をしるべに小倉山とめこしあともあらし吹くなり

> 敷島のかけによるへも難波津の道のよしあしましへもとめむ

意味がよくわからんが、詞書き「和歌雑要といへる本をかりてかへすとて」また「難波津」などと言っているので、
和歌の意味に使っているのは間違いない。

> 敷島の道広き世の初春や言葉の花のときは来にけり

> 敷島の道踏みなれて百重山こゆるも何かくるしかるらむ

> 敷島の道にも捨てぬ初わらびこれもおり知る春のものとて

> 敷島の道忘るなよとどめおく心は深しわれ帰るとも

> 四面八面に国はおほけど敷島のやまと島根ぞ八十のおや国

> 大君の敷きます国と敷島のやまとの国を神ぞ定めし

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