いろんなことがいわれているが、
ようするにタレント本はタレント本に過ぎず、
その本のマーケティングは、無名作家の我々とはまったくことなるわけで、
逆にうちらは、まったく無名なところから、その内容だけで、どこまでのし上がれるかとか、
どういうマーケティングをするかってところが醍醐味なわけなんじゃないのか。
タレントの「芸」というのは、目立ってあばれてふざけることであって、
文芸の「芸」とは異質なものであり、
彼は彼なりに忠実にタレントの芸を演じてみせただけだということだと思う。
でまあ、あれは有名人のネームバリューを借りたいわゆる「タレント本」(ほりえもんとか昔からあるパターン)に炎上商法という合わせ技をしてきて、そこにクラウドファンディングとかキャッチーな風味付けをしたものであった。
そこが少し目新しく、多くの人が釣られた。
名前が知られていたとかすごい肩書きもっていたら、ほんとうに自分の本が面白くて読まれているのかどうか、
証明できないではないか。
私は本が売りたいというよりは、私の本がほんとうに後世に残る価値があるかどうかを見てから死にたい。
しかし見て死ななくてもいい。
死んだ後に証明されればそれでもいい。
生きてるうちに変に人気がでて勘違いして死ぬくらいなら。
本がくそつまらなくても名前が売れていたら本も売れるわけで、
そんな本書いても時間の無駄だと思う。
人生はもっと有意義なことに使いたい。
もちろん多くの目に触れたほうがよいのには違いない。
誰の目にも触れずに埋没してしまえば、どんなに優れていても、評価を受ける機会さえない、ということになる。
だからマーケティングがいかんとは思わない。
三段ロケットの一段目の役割としてのマーケティングはもちろん必要だと思う。
某絵本が23万部売れたとして、ほんとうに内容が優れていて売れたのか、
その証明をしていない。
十分ではない。
メディアに露出し多くの人の目に触れてそこからどれほどの評価を受けるかということが重要ではなかろうか。
そのためには、一発屋でもありたくない。
私の作品のすべてを総合的に判断してもらい、
どこが優れているかということを分析した上で認められたい。
私にも、大したことはないが、そこそこの社会的な肩書きがないわけではない。
前にも書いたが、共著で本を書いたことならある。
だがその名前を出さずにどこまで売れるかってことを試したい気持ちもある。
今のところ、身内に借りを作ってまで広報したいとは思わない、ということもあるし、
たぶん身内がいくら頑張っても大して部数は増えないという計算もある。