小林秀雄の芸

白洲正子「花にもの思う春」p.64

小林秀雄には「飴のやうにのびた時間」「一枚の木の葉も、月を隠すに足りる様なものか」といった、一言でずばりと真髄を貫く言葉があり、愛読者はみな空で覚えたものなのに、
「本居宣長」にはそんなものは一つもない。「批評をすることなど、考えてもいない」
ある学者は「今度の作品にはまるで発見がない」また別の学者は「あんなものは作文に過ぎない」とけなしたというのである。

白洲正子は小林秀雄にむかって、「本居宣長」は以前の作品とは違っている、読んでいるあいだは面白いけれども、読み終わると全部忘れてしまう、何が書いてあるのか一つも思い出せないのが不思議である、などと言ったらしい。それにこたえて小林秀雄は「そういうふうに読んでくれればいいんだよ。それが芸というものだ」と。

私もまったく「本居宣長」と、それ以前の小林秀雄の著作とは違うと思っていた。
ただし白洲正子や小林秀雄の愛読者や学者らとは正反対の意味でだ。
「本居宣長」は小林秀雄が書いたものの中では私には一番わかりやすく、ぐんぐん頭に入ってくる。
それ以前のものと同じ著者とは思えないくらいだ。
私に言わせれば、「飴のやうにのびた時間」なんてのは何の意味もない、理解不能な言語にすぎない。
世阿弥を評して「美しい花がある、花の美しさがあるのではない」というのもわかるようでわからない、
というより批評でも何でもない、ただの言葉遊びのように思える。

「本居宣長」で小林秀雄は歌人宣長を発見している。
宣長は自分を歌人だと思っているし、小林秀雄もそこに気付いたのだが、
普通の人は宣長が歌人だとは思わないし、小林秀雄にいくら丁寧に説明されても理解できないのだ。

世間では国学者は神道家かなんかだと思っている。
宣長がたくさん歌を詠んだことは知識として知っていても、
また歌とはなにかについて何度も繰り返し繰り返し彼が書いていても、そのことが重要だとは思えない。
宣長はへたくそなくせにたくさん歌を詠んだものだ、契沖に似てる、くらいのことしか感じない。

国学者とはまず第一に歌学者であり、歌人でなくてはならない。
小林秀雄は明らかにそのことに気づいていた。
後半、グダグダ書いた「古事記伝」の箇所は宣長の神道家としての説明であって、
私にはここは退屈だ。
たぶんここでは小林秀雄は昔の小林秀雄に戻ってしまったのだ。

小林秀雄は読者が自分の書いたものを理解しているとはまったく思ってなかった。
そんなことは期待してなかった。
めんどくさいので説明する気がなかったというべきか。
たぶん説明すればするほど理解してもらえないとでも思ってたか。
もっと詳しく丁寧に説明するには原稿料が足りないと考えたか。

ともかく「本居宣長」以外の小林秀雄の著作が私にはちんぷんかんぷんな理由を白洲正子に教えてもらった気がした。

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