後水尾天皇

宗政五十緒「江戸時代の和歌と歌人」では後水尾に「ごみのお」とルビがふってある。
なるほど、ATOKでは「ごみずのお」でも「ごみのお」でも変換できる。
wikipediaは「ごみずのお」と仮名が振ってある。
どちらも許容されているということかな。
敢えて言わせてもらえば「ごみのお」は音が美しくない。
「ごみずのお(ごみづのを)」の方が無難ではないか。

上述著書だが、基本的には京都の歌人しか紹介してない。
「江戸時代の和歌と歌人」というタイトルにははなはだ疑問を感じる。
橘千蔭もたまたま京都に来て詠んだ歌しか説明してない。
京都の歌人にしても、小沢蘆庵の歌はたったひとつだけ

> うづまさの 深き林を 響き来る 風の音すごき 秋の夕暮れ

これを延々と語っているだけで、要するに蘆庵の歌がどうなのかよくわからん。
秋成との関係でもう少し歌は紹介されてはいるが。
京都のことはとてもくわしい。
しかし、それ以外のことにはほとんど何も触れてない。
京都の歌人にしても、変わった人をたくさん紹介しているが、
非常に偏っていて、網羅しているとは言い難い。
へんてこりんな本だなとしか言いようがない。
京都在住ではない歌人や国学者、
たとえば真淵とか宣長とかその他もろもろの人についての記述や配慮があまりにもなさすぎる。
いや、そもそも「江戸時代の和歌と歌人」というような大風呂敷を広げた割に、
そうはなってない。
もひとつ言わせてもらえば、宣長の歌の解釈が間違っている。
せめて、小林秀雄くらい嫁と。
また、京都の歌人である蘆庵の解釈にもかなりおかしなところがある。
蘆庵が住んだ太秦の寺は狭いどころではなく、薪を集めてもあまりすぎるくらい広大な寺だった。
そんなことはちょっと詞書きを読めばわかる程度のことなのだ。

> 太秦にすみつきたるはじめ、従者も二三人侍りけるが、いと広く荒れたる寺の秋になりてものさびしく・・・

> 思ひやれ嵐を待たぬ落ち葉さへけふのたきぎにあまるすみかを

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