景樹の言うように、和歌は口語に帰るべきであり、調べは言語によらず世界共通というのであれば、
今や世の中にはフォークもロックも歌謡曲もJPOPもある時代であるから、
和歌がそれらとがちんこで口語と調べで勝負すれば負けるに決まっている。
和歌は歌謡曲ではない。演歌でもない。
そんなものと張り合うのは間違いだ。そういうものに適したメディアではない。
景樹の頃はそういう観点がまだ曖昧だったかもしれんが、現代でもし和歌が口語と調べという、
他の楽曲と同じ土俵で戦えば負けるに決まっている。
そうではないのだ。
和歌は、日本文芸の連続性を保持していることに価値があるのだ。
1500年前から今まで連綿と続いてきた継続性。
これまでの膨大な蓄積。
和歌のほんとうの価値はそこにある。
景樹の歌論では、とても不十分な気がする。
たとえば私が今詠んでいる歌だが、これなど、わざわざ古語を用いて詠んでいるわけだから、
景樹に言わせれば、真淵や実朝のようにわざと古体を模倣して、技巧に走って真情から乖離し、
世の中を欺いている、ということになろう。
真淵が万葉をまねたのと私が文語文法で歌を詠むのは同罪ではないか。
だが、おそらく、私の詠歌で一番近いのは景樹か秋成だと思う。
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