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思うにかつて新風営法でアーケードゲームが殺されて、
かたやパチンコは換金とかより悪質なのに未だに野放しなのは、
要するにパチンコが好きなおじさんおばさんたちの方が、
アーケードゲーム好きなにいちゃんねえちゃんよりも政治力を持っていた、という、
ただそれだけのような気がする。
つまり偉い政治家や財界人にパチンコ愛好家が大勢いるということだ。
ただそれだけだ。

コンテンツ的にパチンコが面白いはずがない。
もし、換金できればビデオゲームの方が数億倍面白いに違いない。
ただ、博打というのは丁半とかちんちろりんと同じで別にルールが複雑である必要はない。

今のソーシャルゲームの課金にしても、まあ、
あれは携帯の通話料金にいつの間にか加算されてしまうのがいけないのであり、
それを経済力のないこどもでも安易に、無意識のうちにできてしまうのがいけないのであり、
あれをダメだといえばゲームセンターもダメということになろう。
良質のゲームに金を払うのは当たり前だし。

ソーシャルゲームは世界中に開発者や顧客がいるわけだから、無料でも結構クオリティが高い。
それは広く薄く、アップグレード課金とかアイテム課金で金を払いたい人から徴収しているからだ。
開発費が集まれば集まるほど良いコンテンツができる。
良いコンテンツが生き残る。
このシステムは決して間違っていない。
それを、ソーシャルゲームの課金は何でもダメみたいな風にするのは、
かつての新風営法と同じだ。
無限(?)の発展姓を秘めていたアーケードゲームを殺し、
総量規制でバブルを殺したのと同じで政治的誤りだと思う。

たぶん、雰囲気的に言えば、
昔のインベーダーハウス的な扱われ方だよな、ソーシャルゲームは。

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