センター試験「国語(古文)」を解いてみる。

[センター試験「公民・倫理」を解いてみる。](http://d.hatena.ne.jp/eguchi_satoshi/20110116/p1)
のまねをして、私も国語の古文を解いてみる。
自己申告すると、ややケアレスミスはあったものの、ほぼ解けた。
問1と問2は、文法の問題とも言えるが、問1はかなりトリッキーな、つまり現代語では解釈不可能で、ひっかかりそうな単語をわざと混ぜている。
もしかすると、これは、入試テクニックとして参考書や予備校の授業などで指摘されている、有名なひっかけなのかもしれないが、
普通に古文を趣味で読んでいる人には、難解であって、文脈によって判断せざるを得ないから、読解問題に近い、と思う。

たとえば問1(ア)だが、これは「すかす」の意味を知らねば解けぬ。コンテクストでは、「催促する」ともとれるし「なだめる」とも取れる。
むしろコンテクストから察すれば「催促」のほうが当たりではないか。
(イ)(ウ)は読解で解ける。

問3から後は現国の読解問題にきわめて近い。私は昔、こういう、答えがあるのかないのかわからない問題が苦手だったが、
最近やっとこつを覚えてきたようだ。問6なども、「まあ、これを読んで、自分は必ずしも、そんなふうには思わないけど、
そういうふうに解釈する人もいるかもしれないな」というのが正解で、残りは
「その解釈にはちょっと無理があるのじゃないかなあ。」と疑問を感じさせる文言が、ひとつずつ混ぜられているのだった。

そもそも、私は理系だったから、昔は理系でも古文や漢文もセンター試験でやらされたのだがそれはともかくとして、
こういう問題を専門に解く訓練を受けていない。
受験テクニックを駆使するともっと楽に解けるのかもしれないが、
わからん単語はさっさと辞書を引きながら読む、ただの古文愛好家として言わせてもらえば、こんな文章を高校生が読めるのがおかしいと思う。
難しすぎる。ますます、古文の受験者は減るだろうし、古文を嫌いになるに違いない。それが心配だ。
出題箇所だが、『保元物語』というのは面白いけど、この義朝と為義の離別の場面は読んだことがなかった。
なるほど確かに面白い箇所であって、
へえ、こんなエピソードもあったのか、と気づかせてはくれるのだが、ちと、玄人好み過ぎやしないか。
『保元物語』にはもっと面白い箇所がいくらでもあるのに。
というか、この問題を解いて、古文っておもしろいなあと思う高校生は、皆無だと思うのだが、それで良いのだろうか。

それから、これは、読み解くのにかなり時間を要する問題だった。こんなに時間をかけないと解けない問題で、良いのだろうか。
もしかして、普通の受験者は現代文の箇所だけ解いて、古文や漢文を解く受験者というのは、
相当マニアックな連中のみ、という設定なのだろうかな。

それで私は、ある人に、この問題の感想を聞いたのだが、その人が言うには
「(源氏物語のような)王朝女流文学だと誰と誰が会話しているのかさっぱりわからないことが多いが、これは、
主人と家来の会話が主だから、誰が誰に話した言葉かわかりやすく、良問だと思う。」
というのだった。
なるほどなあ。そういうものなのかなあ。

「センター試験」「保元物語」などでググると、いろいろ講評が読めて面白い。
軍記物は初めての出題、か。
ふーん。
ていうか、軍記物ってすげー面白いのに今まで一度も出題されておらず([※追記あり](/?p=7293))、その初の出題例が「義朝と為義の離別」なのかよと。
なんか、感覚狂ってないか。
例年と比べて和歌が一つもないのが良かった、などという意見が多いが、
おい、古文で和歌を避けて通るなよ。
むしろ、和歌メインでやろうよ、古文なんだからさあ。
なんか、和歌って、受験産業界で蛇蝎のように嫌われてるのかな。
悲しい現実だな。

両面レーザプリンタ

某電機量販店はさすがに広いのでレーザプリンタも売られていたが、複合機やインクジェットの売り場から隔離されていてわろた。
オフィス用品であって家電ではないというくくりなのだろう。
某社の15000円。かなりコンパクト。これで、A4が250枚入り、両面印刷できるのだから、素晴らしい時代だ。
裏紙でも、ほとんどまったく紙づまりせず、高速で印刷できる。買った甲斐があったというものだ。
ひとつ難点があるとすれば、ファンの音がうるさいというのと、ときどき瞬間的に大電流が流れるらしくて、
部屋の蛍光灯がちらつく。かなり怖い。
うちは、よくブレーカーが落ちるからなあ。
というわけで、こまめにプリンターの電源を切ることにしている。

小沢城

非常に紛らわしいことに、厚木市愛川町には小沢(こさわ)城というのがあり、また、京王よみうりランドのそばには、
小沢(おざわ)城というのがある。時代もかぶっていて、紛らわしいにもほどがある。

ガラタ

イスタンブル近くのマルマラ海に[白い砂浜](http://goo.gl/maps/YcSx)があるのは、
ほぼ間違いないようだ。
[もう一箇所](http://goo.gl/maps/IvSy)。
ふむ。人工の砂浜ではなさそうだが、かといって、海岸すべてが砂浜ではなく、磯になっていたり、
護岸工事していたりするなあ。

[ガラタ塔](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Galata.JPG)
というのは今はガラタ地区の丘の頂上に立っているのだが、
かつては、
[カステリオン](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/70/Byzantine_Constantinople_eng.png)
という海岸に位置していて、対岸との間に鎖を張って、金角湾に敵の船が入ってこれなくしたものらしい。
また、この地図によればガラタに城壁が築かれたのは、1300年以後のように思われる。

はえぬき

買い物はできるだけネットスーパーでまとめ買いするのだが、
トップバリュの米
[はえぬき](https://netsuper.aeon.jp/sagamihara/shop/ProductDetail.aspx?sku=4901810485697&CD=F1002618&WKCD=F1002431-F1002617)
が異様に安いので、
wikipedia [はえぬき](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AF%E3%81%88%E3%81%AC%E3%81%8D)など読んでみたが、
普通にブランド米であって、
値段の割にうまい米らしい。少し期待してみる。

あかね空

たまたまBS2で今、「あかね空」というのをみているのだが、これは良い。すばらしい。
どれだけ、金かけてるのか。

すばらしいが、あり得ない。

NHKには頭がさがる。NHKがなければ、これをみることはなかっただろう。これからまじめにNHK BSを見ようと思う。

エウドキア

またまた[エウドキア](http://en.wikipedia.org/wiki/Eudokia_Makrembolitissa)の話なのだが、
彼女は1021年生まれ、
エウドキアの夫[コンスタンティノス](http://en.wikipedia.org/wiki/Constantine_X_Doukas)は1006年生まれで、
長男[ミカエル](http://en.wikipedia.org/wiki/Michael_VII)は1050年生まれなので、
父が44才、母が29才の時の子供だということになる。
当時としては、かなり遅くに生まれた子だ。
いやまあ、コンスタンティノスは再婚なので良いとして、エウドキアは何才で結婚したのだろうか。
それはほんとうに初婚だったのだろうか。
謎だ。
再婚どうしと考えた方がずっと自然である。
となると、エウドキアに連れ子が居た可能性だってある。
たとえば、エウドキアは最初すごく高齢のおじいちゃんと政略結婚したが、夫とはすぐに死に別れた、とか。
当時としてはあり得る話だ。

エウドキアはコンスタンティノスの二番目の妻で、一番目の妻は
Constantine Dalassenos の娘となっているが、ここでConstantine Dalassenosというのは、
[Damian Dalassenos](http://en.wikipedia.org/wiki/Damian_Dalassenos_%28duke_of_Antioch%29)
の子で1025年にアンティオキア公となった、その人のことだろう。年代がだいたいあう。
同じ名前の人が多くて、極めてまぎらわしい。
コンスタンティノスの一番目の妻の名も、子も知られてないという。
しかし、子はあった可能性の方が高い。
ただ知られてないだけで居たと考える方が自然だろう。
エウドキアの長女とされるアンナは生涯未婚で、次女と三女は結婚しているのだが、
どうもアンナは前妻の子だったのではなかろうか。

エウドキアの最後の子はコンスタンティノスだっただろう。1060年生まれ、エウドキアが39才の子。
ぎりぎりだろう。
1058年に娘テオドラを産んでいる。
しかし、その妹にゾエが居る。
ゾエは何才で産んだ子なのだ。
ゾエも、ほんとうは、ローマノスの連れ子なのではないか。
40才過ぎに当時子供が産めるとは思えないのだ。

エウドキアには次男[Andronikos Doukas (co-emperor)](http://en.wikipedia.org/wiki/Andronikos_Doukas_%28co-emperor%29)がいて、
またこのアンドロニコスにはいとこに
[Andronikos Doukas (general under Romanos IV)](http://en.wikipedia.org/wiki/Andronikos_Doukas_%28general_under_Romanos_IV%29)
がいる。
この二人は、極めて紛らわしい。
次男アンドロニコスは、コンスタンティノスではなくてロマノスに副皇帝とされているのだが、
これはロマノスの連れ子であることを暗示していないだろうか。
1030年生まれ(推定)の[ロマノス](http://en.wikipedia.org/wiki/Romanos_IV_Diogenes)が1068年に37才で結婚するまで独身でかつ子供もいなかったというのがそもそも不自然だ。

疑い出すときりがない。

ところで、バッハについても指摘を受けたのだが、
ヨハン・セバスチャン・バッハは二人の妻と二十人の子供がいたそうだが、
後妻のアンナ・マクダレーナは、20才で結婚して、22才で最初の子を産み、39才で最後の子を産んで、
全部で13人を産んでいる。
17年間に13人。
ちと多すぎる。
前妻マリア・バルバラは36才で亡くなっており、何才で結婚したかはわからないが、7人子供がいる。
仮に20才で結婚したとして16年間で7人。
少し多いくらいか。

なんというかなあ、バッハの子供が全員、二人の「正妻」の子だった可能性はかなり低いのではないか。
キリスト教国では、一夫一婦制だから、妻は必ず一人、愛人が居た場合は、正妻の子として引き取って育てたのではないかなあ。
母体の負担を考慮したら、二年に一人くらいしか産めないと思う。違うかなあ。
こんなことを疑っているのは、私くらいなのだろうか、そうなのか。

置換

ワープロでアンナをカトリーナに置換しようとしたら、アラビアンナイトまで置換されて、
アラビカトリーナイトになったのはわろた。
しかし、「あんなにあちこち」まで「カトリーナにあちこち」に置換されたのには困った。