歴史書と歴史小説

私の場合、愛読書が日本外史なので、どうしてもそういう小説を書きたがるのだが、よく考えると、日本外史は、
歴史書であって、軍記物語に極めて近いけれども、一応史実を記述してある。
そこには何百という登場人物が出てきて、そのどれも主人公ではないし、同時に全員が主人公なわけだ。

ところが、歴史小説というやつは、まず主人公が居て、読者を感情移入させるために、
前半部分で延々と、主人公がどんなやつかという説明があって、最後までその主人公は「生きている」。
死ぬ場合にも、だいたいその子孫が主人公として引き継いでいく。
リニアな展開。
しかし、歴史とはそんなものであるはずがない。
歴史書には主人公がいない。

それで、困ったことに気づいてしまったわけだ。私が書きたいものは、実は歴史小説ではないってことだ。
歴史小説の定義をねじ曲げて新しく定義し直すほどの、才覚もない。どうしたらよかろうか。
しかしまあ思うに昔の太平記とかに特に主人公が居たわけでない。平家物語などもそうだ。
明確に主人公が居るのは義経記とかそんなくらい。
今のように、物語が、一人の主人公を主軸に進むというのがそもそも歴史的に普遍性があるわけではない。
また、歴史を物語るとして、百年二百年のスパンで叙述しようとすれば、一人の主人公で完結するわけがない。
しかし今の歴史小説を見るに、そのたぐいのものはほとんどない。
ああ、ローマ人の物語が、それに比較的近いだろうか。しかしあれはもはや歴史書であって歴史小説ではないよな。

ええっと。歴史書と歴史小説の違いは脳科学的(笑)に説明できる。
歴史書を読むには、短期記憶と長期記憶を意識的に使い分ける訓練が必要になる。
つまり、今読んだところの登場人物が次の瞬間一斉に入れ替わるから、脳内でページングを意図的に行って、
またそれらのキャラが出てきたら、長期記憶から短期記憶に移し替えなくてはならない。
これは、つまり、今のコンピュータでやってるスタック領域とヒープ領域という考え方と同じだ。

歴史書を読みこなしていくうちに、これができるようになる。
量をこなすことによって質的な変化が生まれるのだ。
短期記憶と長期記憶の間のデータの入れ替えは本来本能的、無意識的に行うものであるが、
歴史書を読んでいればそれを自分の意思でコントロールできるようになるのだ。
しかし、歴史小説を読んでいるだけでは、これはできるようにはならない。決して。
小説というものは、そんな訓練にはむいてない。
だから、所詮、歴史小説は小説の一種なのだ。

もっと言えば、短期記憶、一次記憶だけで読める小説というのは、どんな長編小説でも、さらっと読めるのだ。
しかし、長期記憶と短期記憶を両方使わないと読めない小説(もしあれば)は、短くても一気には読めないだろう。
通常、脳内でメモリのスワッピングやガベージコレクションが起きた段階で読者は一旦休憩しようとする。
三、四度立て続けに起きた場合に、その内容に興味が持てなくなれば、読書自体を辞めてしまうだろう。
しかし、短期記憶だけでだらだら集中して二、三時間で読めれば、長編でもなんなく読み終えるものであり、
そういう軽い読み物というのは、世の中にたくさんあるのだろうと思う。

忠臣蔵

たまたまテレビ朝日の忠臣蔵を見ていたのだが、これは良いできだ。
テレビドラマの時代劇でこのクオリティはすごい。びっくりした。
ていうか、このドラマの良さ、一般人には理解できないだろ、たぶん。

ナポレオン打ち切り?

[原稿アップ。ありがとうございます。](http://mekauma.blog89.fc2.com/blog-entry-528.html)

あれっ。
それって今月で連載打ち切りってこと?
雑誌は見てなかったけど、単行本はかかさず買ってた俺様の立場は。
まだ、皇帝にもなってないよね。確かエジプトに遠征したところくらいでは。
あーあ。
まあ、日露戦争物語も日清戦争までで打ち切りになったしなあ(笑)

自分的に今年一番のがっかりニュースです。
はっ。まてよ。こうなることを予想して、最初にアウステルリッツの三帝会戦を描いたのでは。
はうう。

ヴィンランド・サガが終わらないことを祈ります。
麗島夢譚は・・・コメントしづらい。

word2010

word2010を使っているのだが、コピペするとき、貼り付けのオプションを選べるのがとても便利だ。
テキストだけか、書式を保持か。
通常テキストだけで良い。
しかしルビをふったりしているときは書式保持が良い。

あと、原稿用紙換算で何枚か計算してくれると良いのに、と思う。
ページレイアウトでわざわざ原稿用紙設定にするのは面倒だ。

税金

[私たちは何のために政府に税金を支払うのでしょうか ](http://d.hatena.ne.jp/softether/20101130#p1)を読んで思ったのだが、
税金を払う一番の理由は、特権階級や無産階級ではなく、
税収の主たる中産階級を増やすためである。
中産階級の多い社会が一番安定しているからだ。
無産階級が増えても、特権階級が増えても、社会は革命が起きる。安定しない。
もっといえば、低所得者や無産階級を養い、社会を安定させるために税金はある。
社会的インフラがどうこうというのは単なる理由付けに過ぎない。
基本的人権とは、慈善とか博愛のためにあるのではなく、社会を安定させるためにあるのだ。

河越夜戦

頼山陽が日本外史の中で、河越、厳島、桶狭間の戦いを日本三大なんちゃらと呼んだ、といろんなところ、
たとえば wikipedia などで書かれているのだが、
もちろんこれらの三つの戦いについて記述はあるが、三つ比較してどうこうという記述はなさそうなんだな。
ないよなあ。

漢詩か日本政記の方の記述にでもあるのか。

どうも、誰かが勝手に、頼山陽が日本外史の中で、とか言っちゃったのが広まっただけのような気がする。
まったく確証はないが、そんな気がすごくする。

上記の三つの戦いは時間的に比較的狭い時期に起きていて、しかもどれもかなり奇妙な戦いであるのは間違いなく、
まあ、この三つを比較して論じることには意味があるだろう。

温泉の歌

万葉集に出てくる唯一の温泉の歌として、湯河原温泉を歌ったという和歌があるのだが、

> 足柄の土肥の河内に出づる湯の世にもたよらに子らが言はなくに (よみ人しらず)

> 阿之我利能 刀比能可布知尓 伊豆流湯能 余尓母多欲良尓 故呂河伊波奈久尓

ほかにも山部赤人が伊予の温泉(道後温泉)を歌った長歌がある。

> 山部宿禰赤人、伊予温泉(いよのゆ)に至りて作る歌一首 并せて短歌

> 皇神祖(すめろき)の 神の命(みこと)の 敷きいます 国のことごと 湯はしも 多(さは)にあれども 島山の 宣(よろ)しき国と 凝々(こご)しかも 伊予の高嶺の 射狭庭(いざには)の 岡に立たして 歌思ひ 辞(こと)思ほしし み湯の上(うへ)の 木群(こむら)を見れば 臣(おみ)の木も 生(お)ひ継ぎにけり 鳴く鳥の 声も変らず 遠き代に 神さびゆかむ 行幸処(いでましところ)

> 反歌 ももしきの大宮人の熟田津(にぎたつ)に船(ふな)乗りしけむ年の知らなく

だから、温泉の歌は万葉集に、唯一ではない。