風評の流布

所沢 JA はテレビ朝日を訴えるべく着々と準備を進めているそうである.
頼もしい限りだ.
争点は,事実に反することを報道したことにより,
損失が発生したことの因果関係を示せるかどうかである.
法律用語では「風評の流布」と言うんだそうだ.
被害総額数千万から数億円.
補償額の多少などこの際問題じゃなく,
報道機関が善良な一般市民と法廷で争うということが,
致命的なのである.
久米宏が謝罪しないのも,
裁判での全面対決に備えているためとも見えよう.

テレビ朝日は一度国会に証人喚問されたが,
このときは政治家対報道機関という構図になって,
テレビ朝日に同情が集まった.
しかし今回は,そんなまずいやり方はしないだろう.
テレビ朝日の息の根を止めるために,
もっとも効果的な手を打ってくるはずだ.
他の報道機関も今回は朝日を擁護しないだろう.
楽しみだなあ.

テレビ報道の内容に少しでも正義があれば,
それによって生じた損失は国家が補償しなくてはならないかもしれない.
根本的な原因は,政府や行政の怠慢なのだから,
国が補償すべきだという論理は成り立つ
(国の税金が使われるのだから,
それもやむなしとする国民の合意がとれているという前提で,だ.
僕は今回は明らかに私企業の過ちであって,
税金を使うなど間違ってると思うけどね).
しかし問題はもっと根の深いところにある.
朝日はしょせんタブロイド程度の似非ジャーナリズムなのに,
朝日は正しいと信じこんでる大衆が大勢いることが問題なのである.
子供のころ夏休みの宿題で天声人語を原稿用紙に書き写したり,
感想文を書かされたりした連中が,
そのまま大人になっても朝日を信用していることが問題なのである.
根拠のない反体制主義者というのは十年前ならざらにいたが,
ずいぶん減ってきて,
今では共産党と朝日の周辺に非常に高い濃度で残留するに至った.
当たり前のことを当たり前に報道するってことができない,
永遠の子供(タチの悪いことに高学歴なことが多い)が,
最後のよりどころにしているのである.
それがこれからの裁判によって根本から否定されていくことを期待するね.

凸版印刷

群ようこが,
オフセット印刷よりも凸版印刷の方が活字にキレがあって,
格段にきれいだと言ってたことがある.
宮城谷昌光の本で,
紙をさわると印字の部分がざらざらしてるのとそうでないのがある.
ざらざらしているのが凸版印刷なのだろうか.
インク自体はたいしてざらざらしないだろう.
インクはほとんど紙に染み込んでしまうから,
凸版印刷がでこぼこしてるとしたら,
それは刻印するのと同じで,
版を紙に押しつけたときにへこみができるからだろう.
ついでに裏写りがきついような気がする.
いまでも凸版印刷ってやってるのかなあ.
まさかいまさら電算写植使わないで,
活字拾って組んでるわけじゃないだろうと思うのだが.

オフセット印刷はリトグラフと同じ原理なんだそうで.
リトグラフは親水性のある石の板に油性のマジックとかクレヨンとか,
要するに水をはじくもので絵を描いて,
それに水を張って,
書いた部分だけが水をはじくから,
そこにインクを乗せて印刷するんだね.

ダイオキシン

なんか絶対やばいことになると思ってたよ.

ダイオキシン濃度が高いので,
所沢の農作物は買わないことにしましたとか言ったって,
所沢の農家は野菜が売れなきゃ大損害じゃん.
ちゃんとした統計の裏付けがあって,
国の機関か何かが正式に発表して,
農家に補償をするなり(農家が加害者じゃないのはあたりまえ)
そこまで覚悟を決めて公表に踏み切ったんならともかく,
たかが民放の分際で,いい加減な調査しかしてないで,
不買運動まがいの報道したのかよ.
それじゃ農家が怒るに決まってるじゃん.
何考えてるのかなあテレビ朝日って.

それにしても集まった生産者の人数が 40 人か.
所沢にあんまり農民がいなくて助かったねっ,テレビ朝日.

だからさ,たとえばカイワレ事件のときのことを思い出してみるとさ.
厚生省というか菅直人は,原因となった農園を閉鎖したとしか言わなかったんだよね.
ところがその農園をわざわざ探し出して実名報道したのはマスコミなんだよね.
別に政府が名指ししたわけじゃないんだから.
マスコミは実名報道を自粛するのがまっとうな態度だと思わない?
しかも結局はアメリカから輸入したカイワレの種に O-157 が含まれていたんだろ.
じゃ厚生省が取った措置はきわめて適切だったわけだよね.

ところが,その農園を実名報道するだけじゃ飽きたらずに,
その農園の副社長をわざわざテレビ出演させたのがテレビ朝日だよね.
のこのこテレビに出てきてテレ朝に踊らされるヤツもマヌケだけどね.

ところが,今度の所沢ダイオキシン報道じゃ,
所沢の農民というか,
所沢 JA に加盟してる農家の数がどれほどか知らないけど,
テレ朝は彼らをすべて敵に回してるんだよね.
カイワレのときよりはるかに大きな損失を生産農家に与えてるよね?
カイワレのときの厚生省の対応と比べて明らかに悪質だよね.
というか,あのとき自分らが批判したのとまったく同じことを,
今回自分らでやっているんだよ.
自己矛盾してると思わない?

言論の自由というのは大切だと思うよ.
それでテレ朝が,
自分の信念に基づいて,
一部の利益団体を敵に回したり,
法律ぎりぎりのことをやったりするんなら,
僕だって拍手カッサイするだろう.
しかしテレ朝のやってることは単なるセンセーショナリズム.
時と場合で,一番世の中を騒がせるような報道をしてるだけ.
それで正義の味方ぶってるんだから許せんな.
タチ悪いよ.

ダイオキシン報道というのは,現段階では,
センセーショナリズムとまっとうなジャーナリズムの,
ちょうど境くらいに位置している,と思う.
そこをわざわざねらってきて煽るとこがまたいやらしい.
やってることが少年マガジン的というか,所詮はタブロイドどまり.
まじめにこつこつ取り組んでる人間には迷惑この上ない.

O-157 のときは実際に死人がばたばた出たわけだ.
ところが所沢のダイオキシンは,危ないことは危ないかもしれないが,
基準値にくらべて多いか少ないかとか言ってる段階で,
急に死人が出るというわけじゃない.
どの程度被害が出るかまだ未知数の段階だ.
だから所沢の野菜を食べたくないやつは食べなきゃいいし,
所沢に住みたくなきゃ引っ越せば良いんで,
テレ朝にどうのこうの言われる筋合いじゃないじゃん.

つまり,緊急性とか,調査の方法という意味で,厚生省の対応は正しかったし,
テレ朝のはまったくオソマツというしかない.
テレ朝ってのは,ただもう,セイフとかギョーセイとかジチタイとかには,
条件反射的にかみつくだけだね.

タレント

久しぶりにタモリ倶楽部を見たのだが,
あいかわらず素晴らしい.
タモリはこんなに良い番組を持ってるのに,
どうして笑っていいともなんてつまらない番組にこだわるんだろう.

タレントは番組をおもしろくするが,
タレントに過度に依存した番組はつまらない.
どうしてまあ,民放は,
タレントの個人的な趣味とか打ちあけ話とか,
さいころ振ってだらだら話すような,
そんな番組ばかりになってしまったのか.

宦官が政治を牛耳ってしまうように,
タレント(というか事務所というか)
が放送というものを私物化してる,自己目的化してるよね.

宮城沢昌光

この人の小説は春秋時代から後にはなかなか降りてこない.
夏とか商とか周とか斉とかとにかく古い.
宮城沢昌光の小説を読んだあと,
三国志や水滸伝を読むとまるで現代小説のような錯覚を起こすくらい.
異様に難しい漢字が出てくるので,
きっとワープロは使わず手書き原稿なのだろう.
「平成」という元号の選定にも興味があるようで,
彼は参画したかったに違いない.
しかし,
「美」は犠牲に捧げる大きな羊のことだから,
人の名前に使うのは良くないとか,
おせっかいなところがあるなあ.
山本七平みたいなとこがあるね.

NHKをだらだら見てると,
ときどき「それが知りたかったんだよ」
みたいなことを丁寧にドキュメンタリーにしてたりして,驚く.
初期の江戸前鮨を再現したり.
粕酢という香りも色もきつい酢を使ったり,
シャリの量が今の三倍もあったり,
ネタは全部粕酢や醤油で下味を付けたりする.
それを日雇い労働者に屋台に並べて手づかみで取って食べさせるのである.
こういう番組がブラウザで検索していつでも見れたら素晴らしいのになあ.
平日の昼間に放送されちゃかなわん.

これもNHKのドキュメンタリーだったが,
牛は普通草だけ食べる農耕牛だったので,
もともと固くてステーキには適していなかったのだそうだ.
だからシチューにして食べてたのが,
最近になってアメリカのなんとかという企業が,
牛にトウモロコシを食べさせるようになって,
肉が柔らかくておいしくなったので,
鶏や豚よりも牛の方がよく食べられるようになったという.
そりゃ牛肉が全身スジ肉みたいに固かったら,
なかなか食べられんだろう.
というか,昔はサーロインとかテンダーロインとかいって,
柔らかい部位はとてつもなく高かったのかもしれんし.
ヒンドゥーで牛を食べないのも,
おいしいのを無理に食べないのではなく,
インドの牛はことさらに固いのかもしれんし.
戦後日本では牛は放し飼いで草食べさせてただけなので安かったという話もあるし.

バーガーキングにいくと紀元前のローマから牛肉の直火焼きを食べていて,
それが一番うまい食べ方だ,などと書いてあるのだが,
これは史実と違うのだろうか.
実際ステーキを食べると歯に筋がはさまって困ることがときどきあるしね.

宮城沢昌光の小説に出ていた話だが,
中国で牛を農耕に使い始めたのは,
夏王朝末期の商,湯王の時代で,
外征続きで疲弊した国内の農業を回復するためだったとある.
この富国強兵策で湯王が夏王朝を倒して覇者となったのだそうだ.
ふーん.

いまから思うとあの油粘土というものは,
とても醜くて気持ちの悪いものだったね.
でも油が染み込ませてあるから固まらずに何度も使えるんだね.
だったら色くらいもすこし工夫してほしかったね.
更新日記と更級日記.
一字の違い.