「とある」と「かかる」

「或る」を「と或る」と書く表現がはやっていて、特に、
ラノベのタイトルに唐突に用いられるのがよく見受けられる。
なぜ「ある」と書けばよいところをわざわざ「とある」と書くのかという疑問がわいてくるのだが、
文法的に間違っているとも言い難い。
この違和感をどう説明すればよいか。

調べてみると、太平記に
「とある辻堂に宮を隠し置いて」というのが初出らしい。

も少し調べてみると、「とあれかくあれ」「とまれかくまれ」のような形はもっと古くて、
それが「ともかく」「とかく」のような形で定着する。
「ともかく」の「と」と「とある」の「と」は同じ由来なのだ。
そしてこのような「と」の使い方は万葉集の時代までさかのぼる。
つまりは由緒正しい古語なのである。

「とある日」は不確定の日であろう。
「かくある日」「かかる日」は特定の日であろう。
「とあれかくあれ」ならばそれら全部をひっくるめてすべての場合という意味になる。

「或る」はもともと漢文訓読に由来するという。
この「或る」が「とある」と混同されて広く使われるようになったのかもしれない。
そもそも「或」は「とある」と訓読すべきであったかもしれぬ。

「とある科学」とか「とある魔術」のような言い方が重宝されているのはなぜか。
新しいニュアンスが追加されているのは間違いない。

会話記号

[『山月記』の会話記号](http://ameblo.jp/muridai80/entry-11901836130.html)。

確かに中島敦は句読点やカギ括弧の使い方にかなりのゆらぎがある人で、
私としてはそれに好感を持っている。
言語として意味が通るかぎり作家は出版社や新聞社の慣習や、文部省の指導要領などから自由に、
文章を書くべきである。
作家は型にはめられるべきではなく、また自ら型にはまるべきではない。

> 「おはよう」と言った。

> 「おはよう。」と言った。

には若干のニュアンスの違いがある。
それを誤記だと決めつけられるのは困る。
この例ではわかりにくいかもしれないが、私はカギ括弧の終わりの「。」は原則省かない主義であり、
しかし、「。」を意図的にはぶく場合もあるのだ。
記法が統一してないとか誤記だとか言われても困る(もちろんうっかり間違うこともある)。

間接話法だからカギ括弧はいらず、直接話法だからつけなくてはならない、とかそんなことはどうでもよろしい。

> 次の朝いまだ暗いうちに出発しようとしたところ、駅吏が言うことに、これから先の道に人食い虎が出るゆえ、旅人は白昼でなければ、通れない。今はまだ朝が早いから、今少し待たれたがよろしいでしょうと。

カギ括弧を付けたほうが落ち着きがよいのはわかる。
特に「通れない。」で一旦切れているから、全体をカギ括弧でくくったほうが会話の切れ目がわかって親切だ、
という理屈がわからぬでもない。
せめて「通れない、」にしてくれというのも、理屈はわかる。
しかしだ。もし私がいちいちそういうことまで編集者に口出しされたら、そのうちぶち切れるかもしれん。
中には有用な、傾聴に値する、自分では気付かなかった、ありがたく従わせてもらうような指摘もあるだろう。
しかし最終的に、自分の書きたいように書いて発表できなければ意味はない。

小説というものは、往々にしてわざとわからぬように書くものである。
わかるように書くのであればシナリオのト書きのように書くのがよい。
だれが話したかわかるからだが、
しかし、
よく読めば誰の発言かがわかるのが小説というものだ。
よく読んでも誰の発言だかわからないこともあるが、それはその他大勢の脇役が不規則発言をしたと考えてもらいたい。
わからないのにはそれぞれそれなりの意味がある。

たとえば私の書いたものの例でいうと、「エウドキア」の冒頭、

> ある穏やかに晴れた朝、エウドキアは庭先の丸石に腰を下ろし、目の前に広がる故郷の海の砂浜でブルトゥスが波にじゃれているのをぼんやりとながめていた。

としたが、これは何度も何度も書き換えてこの形に落ち着いたのであり、
私としてはこう書かざるを得なかった。
ここではエウドキアが何者かはわからぬ。
もちろん「エウドキア」というタイトルの話だから主人公だということはわかる。
副題やあらすじもつけているからエウドキアが将来ローマの皇帝になることも読者は知っていよう。
だが、ブルトゥスが何者かはわからぬ。
波にじゃれているのだから子供か飼い犬か何かだろうとは予測がつくが、
実際ブルトゥスが何かというのは、ずっと後になってみないとわからない「仕掛け」になっているのだ。
多くのものはこの段階ではぼんやりと、ラフに描かれていて、
次第に細密に描きこまれていくのだ。
それが小説というものだろう。

私の場合は特に、歴史小説の冒頭は、
現代小説のように書くようにしている。
しばらく読んでいくうちに歴史的な小道具を出してきて、
現代ではありえない、過去の、ある場所の出来事であることがわかるようにしている。
なぜかというにあたまっから過去の歴史の話であると思って読んでほしくないからだ。
今自分の身の上におこったことのように感じてほしい。
つまり当時の空気の中に読者を連れ込み没入させたいからだ。
また作者自らも当時の空気の中に浸ってみたいのだ。

源氏物語のように句読点もカギ括弧もなかった時代の文章に、
適当に句読点やカギ括弧やふりがなを付けるのは良いだろう。
しかし近代の小説をいちいちいじくり回すのはやめたほうが良いのじゃないか。
我々が普段目にしている夏目漱石の小説も、おそらく、
新聞に連載されるときに新聞社の都合で手直しされ、
教科書に掲載されるときに出版社の都合で手直しされたものであって、
夏目漱石そのままの文章では無い。
そうやってだれかの不作為の意図によって文章は改編され均質化されていく。
決して良いことではない。
昔の人が書いた油絵を俺ならこう描くと手直ししているようなものであって、
絵画では決して許されないことだ。
文章だから心理的にも技術的にも割と簡単にできてしまう。

労働からの解放

H・G・ウェルズのタイムマシンというSFでは未来の人は働く必要がなくて、
ずっと子供のまま成長せず、遊んで生殖活動だけしていると描かれている。

人類は文明が発展して労働から解放されつつあるのは確かだが、
同時に労働を奪われつつもある。
みなが労働しなくて遊んで暮らせれば良いが、
実際には労働しなければ貧困におちいり遊び暮らすどころではない。
同じ事は産業革命の頃にもあった。

人類が労働から解放されて貴族のように遊んで暮らせるようになるのはいつのころか。
そんな時代が未来にくるのだろうか。
ディストピア?

安積

たまたま郡山に行っていたのだが、郡山と言えば安積(あさか)である。

> 安積山かげさへみゆる山の井の浅き心をわが思はなくに

極めて古い歌である。

> 安積香山 影副所見 山井之 淺心乎 吾念莫國
> 右歌傳云 葛城王遣于陸奥國之時國司祗承緩怠異甚 於時王意不悦怒色顕面 雖設飲饌不肯宴樂 於是有前采女 風流娘子 左手捧觴右手持水撃之王膝而詠此歌 尓乃王意解悦樂飲終日

この葛城王とは橘諸兄のことであるという。
聖武天皇の時代。
ほかにも、古今集に

> みちのくの安積の沼の花かつみ かつみる人に 恋ひやわたらむ

とあるが、これもおそらくかなり古い歌である。
芭蕉の奥の細道で有名。

伊勢物語の

> みちのくの信夫もぢずりたれゆゑに乱れそめにしわれならなくに

これも相当な古歌であろう。
安積が郡山とすれば、信夫(しのぶ)は福島である。

> みちのくの 安達太良真弓 弦はけて 弾かばか人の 我をことなさむ

> みちのくの 安達太良真弓 はじき置きて 反らしめきなば 弦はかめかも

弦は「つら」と言ったらしい。「はく」は弓に弦を「付ける」。
「反る」は「せる」。
安達も信夫も安積もほとんど同じところ。

これらの歌がリアルタイムで現地で詠まれたとすると、
聖武天皇から桓武天皇の頃までであろう。
白河の関の外ではあるが、坂上田村麻呂は多賀城まで征服したのだから、
安積や信夫はすでに前線基地というよりはそれより後方の兵站基地であったろう。
このみちのく征伐に常陸や下野の関東武士が動員されたのは当然あり得ることである。
将軍クラスは大和の人たちであり、和歌くらいは詠めたのに違いない。

上記の歌は本来はえぞみちのくという外征先から大和にもたらされた音信のようなものであっただろう。
光孝天皇によって平安朝に和歌が復活した以後には単に歌枕となってしまい、
実景を詠む人はいなくなってしまった。
いたとしても頼朝くらいだが、
頼朝は自分で白河の関を越えてはいない。

西行は信夫佐藤氏であろうとされている。
佐藤は藤原氏である。
関東や陸奥の藤原氏はみな藤原秀郷の子孫を称するが、
秀郷は下野の人である。
下野を拠点とした藤原氏が朝廷の外征に従って、
白河の関を越えて安達、安積、信夫と勢力を広げていった、
と考えられる。

西行は二度も京都からみちのくに下っているのだが、単なる郷愁であったのか。
それとも何かの仕事か。
二度目は東大寺の大仏が焼けたので平泉に大仏を再建するための金を勧請に行ったのだという。
しかしこのころ安達・安積・信夫は奥州藤原氏の支配であって、
頼朝とは白河の関で対峙し、京都とつながり、義経を匿っていた。
頼朝は藤原氏によって背後をうかがわれていたのである。
結局頼朝と京都は和解し、孤立した奥州は頼朝に討たれてしまう。

西行は奥州藤原氏に連なる人なのだが、
頼朝はよく彼を通したと思う。
西行は明らかに頼朝の敵である。
西行が京都・頼朝連合側の間諜だった可能性もあるかもしれん。

> 美み知ち乃の久く能の 安あ太だ多た良ら末ま由ゆ美み 波は自じ伎き於お伎き弖て 西せ良ら思し
馬め伎き那な婆ば 都つ良ら波は可か馬め可か毛も

弓の弦をはずしてそらしっぱなしにしておくと弦が付けられなくなるよ、
あまりほったらかしておくと、元の仲に戻れないよ、という意味。
安達太良真弓は非常に強い弓であったとされる。
「めかも」は反実仮想だわな。

山家心中集

岩波書店の全集あるいは岩波文庫などでは、
勅撰集は定家の新勅撰集まででそれ以後の歌集がほとんどない。
8代集以降の21代集やら数々の私家集は、確かにおおむね退屈だが読まなくて済むものではない。
特に私は最近、正徹に注目しているのだが、詳しいことはほとんどわからない。
禅宗とも関連がある。
こういう人がいるからうかつに何も大したことのなかった時代では済まされない。

鎌倉後期京極派の玉葉集、風雅集に関しては岩佐美代子氏による精細な研究書があるが、
他はほとんどうち捨てられ、
鎌倉時代や室町時代の和歌などどうでもよいというような状態である。
唯一、角川国歌大観があるのみと言ってよい。

時代がずっと下って江戸後期や幕末の歌人、
たとえば香川景樹や小澤廬庵などは全集に採られているものの、
やはり江戸時代、特に、後水尾天皇や細川幽斎の時代の厚みが無い。

それはそうと「山家心中集」を見てみると、「山家集」とくらべて歌の配置がずいぶん変わっていて、
詞書きも略されている。
「山家集」から誰かが抜き書きし配列し直したものだといってよい。
特に注目すべきは、あの有名な「ねがはくは」の歌がずっと巻頭のほうに移動していて、
「花」が「さくら」特に「やまざくら」としか解釈しないような配置になっているということだ。
これがまあ後世の西行の見方なのだが、
すでに鎌倉期成立の「心中集」においてすでにそのような形になっていた、
もし「山家集」が失われて「心中集」だけが伝わったら、
西行という人はよりわからなくなっていただろう。

西行は多作な人で当時から人気も高く、また自ら人に自詠を披露するのも好きな人だったようだ。
だから歌が残るのは当たり前だが、
「山家集」が自著かというのはあやしい。
かなり不親切な、雑多な寄せ集めのようにも思える。

「明治天皇百首」というようなごく短いものを書こうと思うのだが、
なかなか書けない。難しい。
私は明治天皇御製から和歌を学んだので、
明治天皇を師として私淑したわけで、
その批評をするというのは非常におこがましい気がする。
しかし、私以外の誰が明治天皇の歌の真価を広く知らしめられようかと思うと、
いずれ書かぬわけにはいかないとも思う。
明治天皇の歌を評価するということは、
ありのままの明治天皇と一人の人間として向き合うということだ。
明治大正の歌人たちにはそれが恐れ多くてできなかった。
しかたのないことだ。
天皇の歌を知るということは人としての天皇を知ることだ。
誰かがやらねばならない仕事だとは思わないか。

人気記事の順位で言えば明治39年が一番アクセスされている。
日露戦争が終結した年だ。
なるほどみんなそこが好きなんだなあと思う。

「いただく」と「くださる」

例によって病院で処方箋もらってドラッグストアで薬出てくるのぼーっと待っていたのだが、
店内アナウンスで、最初に
「本日のご来店まことにありがとうございます。」とか
「ご来店いただきましてありがとうございます。」という枕で始まって
「ご来店いただきましてありがとうございました。」でしめている。

で、
竹田恒泰という人が
[問題 次の文の誤りを正しなさい。「ご来店いただき、ありがとうございました。」](https://twitter.com/takenoma/status/487542912381493249)
などと言っているわけだが、正解は
「ご来店くださり、ありがとうございました。」
なのだそうである。
はて。何か変ではないか。

この理屈で言えば、
「ご宿泊いただきありがとうございました。」
「お召し上がりいただきありがとうございました。」
などもダメで、
「ご宿泊くださりありがとうございました。」
「お召し上がりくださりありがとうございました。」
でなくてはならないことになる。

ここでは「お客様にご来店いただいた」
「お客様にご宿泊いただいた」
「お客様にお召し上がりいただいた」ことに対して、
店主や従業員が「ありがとうございました。」とお礼を言っているだけのことであって、
特別問題とは思えない。

「いただく」は「もらう」の謙譲表現、「くださる」は「くれる」の尊敬表現。
「もらう」は動作の主体が自分だから謙譲、
「くれる」の動作の主体は相手だから尊敬になっているにすぎず、

> 客に来てもらう

> 客が来てくれる

のように「に」「が」と助詞が異なり、
それぞれ

> お客様にご来店いただく

> お客様がご来店くださる

となる。

> 客が来る

ならば対応する表現は

> お客様がご来店になる(ご来店なさる)

となるだろう。

では違和感があるのはあとに続く「ありがとうございます」「ありがとうございました」だろうか。

竹田氏は
[嬉しく存じます](https://twitter.com/takenoma/status/487546879983370240)
なら良いといっている。
おそらく主体が店側にあるということが明確になるから良いと言いたいのだろう。
だが、「嬉しく存じます」が良くて「ありがとうございます」がダメな根拠は何か。
「ありがたく存じます」ではどうか。
「ありがたく存じます」と「ありがたく御座います」の違いは何か。
この程度の表現の揺れは時代とともにあるのであり、
文法的に問題がないのであれば許容すべきだ。
センター試験のマークシート問題のひっかけみたいなことにいちいちこだわるべきではない。

「ありがとうございました」となるのは上に書いたように店内アナウンスの都合であり、
やはりこのくらい許容すればいいじゃないか。
間違っているとまでいう必要があろうか。
というか、
「いただく」は謙譲語だから客の動作に言うのはおかしいと反射的に考えているだけのように思える。

話は変わるが「させていただく」は「する」を無理矢理謙譲表現にしたものだが、
気持ち悪い。逆に恩着せがましい。
浄土真宗に由来するとも聞く。
「する」の謙譲表現は単に「いたします」で良いじゃないかと思う。

自殺

すでに誰か指摘していることだと思うが、
夏目漱石の「こころ」では「K」がまず自殺し、次に乃木希典が妻を巻き添えにして殉死という形で自殺し、
最後には「先生」も自殺してしまう。
この小説のテーマが自殺であることは紛れもない事実だ。
なぜ高校の教科書に必ずと言ってよいほどに「こころ」が掲載されているのか。
自殺した作家も多い。
すぐに思いつくだけでも病気を苦にして死んだ芥川龍之介、情死した太宰治。
三島由紀夫も自決という形で自殺したし、
江藤淳も妻を追って自殺した。
他にもいるかもしれないがこのくらい挙げれば十分だろう。

日本は自殺が多い国だが、この特殊な、近代日本文学の影響は当然あるだろうし、
そうした状況で、「こころ」が必ず教科書に採られるというのは異様な気がする。
自殺防止に躍起になる一方で自殺を美化しているような。

小説やテレビドラマでは死、殺人、自殺があふれていて日本人は不感症になっている。
だから別に高校教科書だけ健全でも仕方ない、影響ないと言えばいえるかもしれない。
実際古代ギリシャ悲劇にも死や殺人はつきものだ。
アガメムノーンの娘イーピゲネイアも、神に犠牲として献げられる形で自殺している。

だが、それにしても「こころ」は大した話の盛り上がりもないのに、
「K」「先生」の二人が自殺するというのは異常ではないのか。
高校生の頃は案外読んでもピンとこないものだが、
年をとってから改めて考えてみるとどうにも疑問だ。
少なくとも夏目漱石は日本の高校生全員に読んでもらうためにこれを書いたはずない。
きっとあの世で困っているに違いない。

「こころ」以外にもいくらでも良い小説はある。
菊池寛とか志賀直哉とか吉行淳之介とか安岡章太郎とか。
志賀直哉にしても「城の崎にて」よりかは「清兵衛と瓢箪」とか「小僧の神様」のほうがすっと面白い。なぜ高校生に「城の崎にて」を読ませる必要があるのか。
芥川の「羅生門」にしてもそうだ。
どうも終戦直後の暗い雰囲気をいまだに引きずっている感がある。
個人的には葉山嘉樹が好きだ。「セメント樽の中の手紙」とか。
中島敦にしても「山月記」でなく「名人伝」ではなぜいけないのか。

「こころ」「城の崎にて」が「小僧の神様」「名人伝」に置き換わるだけで国語教育の雰囲気は全然変わってくると思うのだが。

詩人は伊東静雄が良い。「春のいそぎ」とは言わぬ。
「わがひとに与ふる哀歌」「水中花」「そんなに凝視めるな」などをなぜ読ませないのか。
なぜいつもいつも中原中也や宮沢賢治なのか。

みささぎにふるはるの雪
枝透(す)きてあかるき木々に
つもるともえせぬけはひは

なく声のけさはきこえず
まなこ閉ぢ百(もも)ゐむ鳥の
しづかなるはねにかつ消え

ながめゐしわれが想ひに
下草のしめりもかすか
春来むとゆきふるあした

「みささぎにふる」「はるの雪」ではないのだな。
「みささぎに」「ふるはるの雪」なんだな。
七五調かと思わせておいて五七調。
そこがトリッキーなのだが。

そんなに凝視(みつ)めるな わかい友
自然が与える暗示は
いかにそれが光耀にみちてゐようとも
凝視(みつ)めるふかい瞳にはつひに悲しみだ
鳥の飛翔の跡を天空(そら)にさがすな
夕陽と朝陽のなかに立ちどまるな
手にふるる野花はそれを摘み
花とみづからをささへつつ歩みを運べ
問ひはそのままに答えであり
耐える痛みもすでにひとつの睡眠(ねむり)だ
風がつたへる白い稜石(かどいし)の反射を わかい友
そんなに永く凝視(みつ)めるな
われ等は自然の多様と変化のうちにこそ育ち
あゝ 歓びと意志も亦そこにあると知れ

伊東静雄は46才で死んだのか。私が死に損なった年ではないか。はは。
「春のいそぎ」が戦中で「そんなに凝視めるな」が戦後だ、というヒントだけで、
勘の良い人には詩の意味するところがわかるだろう。

それから、俳句や、まして短歌を詠ませるな。
まして自由詩を作らせるな。
代わりに都々逸を詠ませれば良い。あれはもともと口語で歌うもので、
誰でも比較的簡単に作れる。
そうすれば詩とは何か、歌とは何かということがわかるに違いない。

シンクロ率

小説を書けば書くほどにわからなくなっていく。
著者と読者が共感できる話を私は書けないのだろうか。
読者と、せめて50%くらいはシンクロしたい。
100%はまあ無理として(著者しか知らない裏設定などがあるから)80%とか90%くらいは普通にシンクロしたい。

だが現状は10%くらいだと思う。
どうしてこうなってしまうのか。

120%くらい理解してくれる読者がいてくれるとうれしいのだが。
つまり、私が隠しているつもりの裏設定までみやぶり、
私自身も気づいてない私の深層心理までも指摘してくれるような。

著者不在読者万能

私の小説の中では「エウメネス」「エウドキア」がよく売れている方なのだが、
比較的マイナーなはずのエウドキアが売れている理由がよくわからなかった。
だがオタクの世界では、エウメネスほどではないにせよ、エウドキアはよく知られたキャラであり、
エウドキアがどんな人であったか知るために(もしかすると二次創作のための設定資料として)ポチる人が多いのではないか。
私以外の全然別の人が全然別の話を書いても同じくらいには売れたのではないか。
とすれば私という書き手は不要であり、不在であり、存在するのは読者だけということになる。
私が書かなくてはならない必然性がない。

本を売るということは、それを買う読者がいるということであり、
ようは読者万能ということである。
同じ事はすべてに言える。
政治家にしろ君主にしろ、近代・現代は国民万能時代だからどうしてもそうなる。
売れっ子ライターやアルファブロガーなどみんなそうだ。
ツイッターではそういうよく読まれる人のことは、なんと呼ばれているのだろか。

私は話の中で登場人物を死なせるのが嫌いだ。
もちろん歴史小説では死ぬが、それはその人が死ぬことが歴史的に確定しているからだ。
私が勝手にこしらえた人物を殺すのは忍びない。
ほとんど唯一の例外は墨西綺譚に出てくる乾長吉だが、墨西綺譚は今は非公開にしている。

石原慎太郎、村上龍、山田詠美、村上春樹などの流れをみると、
読者はあきらかに暴力やセックスを求めている。
ラノベにすらその傾向はある。
ミステリー・ホラー小説もつまるところ人が殺されるからおもしろがって読むのだ。
人が死なないミステリーなどほとんど見向きもされないだろう。

私の場合、男女が恋愛関係に至る過程を書くことはあっても、恋愛関係そのもの、つまり情事を書くことはほとんどないが、
それも一般読者には不満だろう。

村上春樹から暴力やセックスを差し引いたらあんなに売れると思うかね?

砂丘

最近になってミュートとリストという機能をおぼえて、割とほんきでツイッターを使い始めた。

小説を書いて公開していて思うことだが、
こういうコミュニティは閉じていて、
一定以上の読者を獲得するのは難しい。
いろんなコミュニティを渡り歩くのは有効ではあるが、
結局いつかは頭打ちになる。
ツイッターはいろんな人たちがいるからコミュニティが閉じてないというか、コミュニティが非常に広い。
そういう世界で地道に人をフォローし、人からフォローされることは、
いわゆる名刺を配る的な営業のようなもので、
やってみる価値はあるんじゃないかと思い始めた。
Adwords なんか広告使う気にはあまりなれない。
現在やっと2000の壁超えたばかりくらいだが、2000フォローしているうち1000くらいはミュートしてると思う。
ミュートしているのは営業とボットが多いだろう。
ミュートしてないけどそもそもあまりツイートしない人もいるから、
素で読んでるのは500くらいか。
それでも多い。

リストもかなり使っていて、
こちらはどうせフォロー返ししてくれなさそうなw有名人や政府機関なんかが多い。
ボットもフォロー返ししてくれなさそうなのはリスト。

すべてのリストを公開しているわけではない。

一度やっと二桁くらいリツイートされたことがあり、
はあ、こんなことリツイートするんだなあと感心した。

世の中にはプロと素人と、その中間にいてプロになろうとしている連中がいるのだと思っていたのだが、
小説家になろうなんかを読んでると、なかなかプロに匹敵する素人はいない。
おやなかなか面白いなと思い著者名で検索してみると本出版してたりするのだが、
あーさすがにプロだなと思い出版社を確認するとどうやら自費出版らしい。
それじゃkidle本と変わらん。
ブロガーなんかは割と中間層が厚いように思うが、作家はなんか中間層がほとんどいない気がする。

[砂丘](http://ncode.syosetu.com/n4642ce/)
はわりと本気で書いた短編だが、
こういうのを子供向けのラノベとか転生ものがはやりの「なろう」に載せるのは嫌がらせみたいなもんだろう。
「なろう」見てて思うのは、いきなり超能力とかファンタジー出してくるリアリティ完全放棄なものか、
それただの実話だろうみたいなリアリティはあるがフィクション性が希薄なもの。
非リアルとリアルの中間くらいにフィクションというものはあるべきで、
そのチューニングが創作活動だと思うんだが、
良質なフィクションというものが「なろう」にはほとんどない。
それだけフィクションをこしらえるってことは難しいんだよなといまさらながら思う。

良くあるパターンは、
私の名前はなんとかです、年はいくつで身長はいくつ、髪の毛の色はとかキャラの紹介から入るやつとか、
なんだよそれとか思う。
それただの設定資料だろと。
あと自分の知ってる居酒屋でああしたこうしたとか。見たまま聞いたまま体験したままを書いてて起承転結のないやつ。
起承転結はあったほうがよい。起承転結にかわるなにかオチがあればなおよい。
しかし何も無いやつはただの日記かエッセイであり小説じゃないだろと思う。
ていうかそんなのはブログに書けよと思う。
だからブログは素人にも書きやすいんだろうけど。

プロットも、面白いなと思ったら、よく考えるとテレビドラマなんかで使い回されてるようなもので、
途中で連載放棄してたりしてすごくなえる。
携帯でちまちまと長編小説書いているやつとかいるのだが、
なんだよそれ自己満足?とかしか思えないものばかりだ。

私は自分と同じような小説を書く人を探している。
でもなかなか見つけられなくて困っている。
もしかしたらそんな人は存在しないのだろうか。
同時並行して私の小説を面白いと感じてくれる人を探している。
そういう人たちに私の小説が目に触れる方法を探している、というべきか。