新聞とテレビ

ココ壱番で昼飯を食べた。そのとき店においてある読売新聞を読んだのだが、字が大きく余白が広く、広告がカラーででかくて、
まるでテレビのような印象だ。
新聞というメディアは、今やこれほどテレビに近づいたのか、とあきれた。
ある意味朝日も毎日もそうだ。
テレビと新聞が同じ論調同じ印象だと日本人がほとんど同じソースから影響を受けるということになる。
メディアの多様性は今やネットにしかない、とも言える。

日経は明らかに違う。日経はひまつぶしに活字が読みたいときにコンビニやキオスクなどで買うことがある。
ちなみに購読しているのは産経。読売・朝日とは明らかに紙面づくりが違う。

ココイチでサイドメニューの380円のサラダを注文して、途中通りすぎた吉野家がほぼ満席だったのを思い出し、
このサラダ一つで牛丼が一杯食えるのだなと思うと、ものすごく贅沢な気がした。

世の中がものすごく不景気というかデフレなのを感じる。
これまで自分の仕事は不況の影響を比較的受けにくいと思っていたが、
世の中全体がここまで不景気になると、さすがに影響がいたるところに出ているのを認めざるを得ない。
うちは上位と後発の中間にいるのだが、上位に食われて、後発にのがしている。
上位は少なく後発は多い。上位を追うのでなく後発に逃げているのを止める方が効果があると思うのだが。
つまり、クオリティを上げ専門に特化することで挽回するのではなく、
逆に一般の民間人を広く顧客にするのだ。
努力のベクトルが真反対な気がするのだ。

民間人は専門のことはよく知らない。わからない。
一般市民にわからないことを自分たちだけ一生懸命頑張っても仕方ない。というのは自戒の意味でもそう思うのだが。

少数の専門と多数の総合があるとする。総合は、専門をつまみ食いして、安くそれっぽいものを提供しようとする。
世の中が不景気になると、わざわざ高くつく専門を選ばず、安い総合ですまそうとする。
そして大抵の民間人はその違いがわからない。気づかない。また専門の方にもおごりがある。
俺たちは専門だから、一般とは違う、高くても仕方ないと。でもどれほどの差別化ができているというのだ。値段相応なのか。
あれ、まるで牛丼屋チェーンかなにかの話をしているような気分になった。

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