深川のことをいろいろ調べていたら小名木川とか結構面白い。
江戸城から真東に20kmくらいのところに行徳塩浜がある。
家康は江戸入府直後、軍用運河として、小名木川と船堀川(新川)を開削する。
後に赤穂の塩など良質で安い塩が手に入るようになっても、
行徳の塩は幕末まで戦略的に保護され続けた。軍用塩田だ。
隅田川から中川までの小名木川は東西にまっすぐだ。
中川から江戸川までの船堀川は一部自然の河川を利用したらしく、やや曲がっている。
それはそうと江東水上バスというのが小名木川を通っていたのが、
江東区が整理民営化し、民間会社も1998に倒産してなくなってしまったという。
なんかもったいない気もする。一度乗ってみたかった。
小名木四郎兵衛が作ったから小名木川というのか。
逆だろう。小名木川の工事を任されたから小名木という名字をもらったのだろう。
古地図にはウナギサヤ堀などと書かれているというから、
もともとはウナギ川と言っていたかもしれんね。
『春色梅暦』にも、鰻屋が出てくるのだが、男女二人客で、
いきなり三枚焼かせてさらに一枚追加している。
当時としては鰻は高級料理ではなく、ずいぶん安かったのではなかろうか。
なんとなくだが、鰻がわらわら沸いているようなイメージだよな深川って。
小名木川に河岸があったのは、一番西側、隅田川よりの、
万年橋から高橋の間であり、北岸が芝翫河岸、南岸が小名木河岸。
芝翫というのは中村芝翫という歌舞伎役者が住んでいたかららしい。
中村芝翫は現在七代目が襲名。
当時は二代目だったらしい。
この万年橋から高橋の間がもっとも船宿が稠密だったのではあるまいか。
江戸時代の小名木川には、万年橋、高橋、新高橋の三つしか架かってなかったというから、
これらの橋の近くが繁華街にならざるを得なかったに違いない。
とりあえず、メモ。