岩波書店の全集あるいは岩波文庫などでは、
勅撰集は定家の新勅撰集まででそれ以後の歌集がほとんどない。
8代集以降の21代集やら数々の私家集は、確かにおおむね退屈だが読まなくて済むものではない。
特に私は最近、正徹に注目しているのだが、詳しいことはほとんどわからない。
禅宗とも関連がある。
こういう人がいるからうかつに何も大したことのなかった時代では済まされない。
鎌倉後期京極派の玉葉集、風雅集に関しては岩佐美代子氏による精細な研究書があるが、
他はほとんどうち捨てられ、
鎌倉時代や室町時代の和歌などどうでもよいというような状態である。
唯一、角川国歌大観があるのみと言ってよい。
時代がずっと下って江戸後期や幕末の歌人、
たとえば香川景樹や小澤廬庵などは全集に採られているものの、
やはり江戸時代、特に、後水尾天皇や細川幽斎の時代の厚みが無い。
それはそうと「山家心中集」を見てみると、「山家集」とくらべて歌の配置がずいぶん変わっていて、
詞書きも略されている。
「山家集」から誰かが抜き書きし配列し直したものだといってよい。
特に注目すべきは、あの有名な「ねがはくは」の歌がずっと巻頭のほうに移動していて、
「花」が「さくら」特に「やまざくら」としか解釈しないような配置になっているということだ。
これがまあ後世の西行の見方なのだが、
すでに鎌倉期成立の「心中集」においてすでにそのような形になっていた、
もし「山家集」が失われて「心中集」だけが伝わったら、
西行という人はよりわからなくなっていただろう。
西行は多作な人で当時から人気も高く、また自ら人に自詠を披露するのも好きな人だったようだ。
だから歌が残るのは当たり前だが、
「山家集」が自著かというのはあやしい。
かなり不親切な、雑多な寄せ集めのようにも思える。
「明治天皇百首」というようなごく短いものを書こうと思うのだが、
なかなか書けない。難しい。
私は明治天皇御製から和歌を学んだので、
明治天皇を師として私淑したわけで、
その批評をするというのは非常におこがましい気がする。
しかし、私以外の誰が明治天皇の歌の真価を広く知らしめられようかと思うと、
いずれ書かぬわけにはいかないとも思う。
明治天皇の歌を評価するということは、
ありのままの明治天皇と一人の人間として向き合うということだ。
明治大正の歌人たちにはそれが恐れ多くてできなかった。
しかたのないことだ。
天皇の歌を知るということは人としての天皇を知ることだ。
誰かがやらねばならない仕事だとは思わないか。
人気記事の順位で言えば明治39年が一番アクセスされている。
日露戦争が終結した年だ。
なるほどみんなそこが好きなんだなあと思う。