吉野百首

寛政11年(1799)春、紀州、和歌山、吉野、水分神社などを巡る旅で詠んだ歌。
紀の国和歌山を発って2月24日に泊まった橋本宿(紀ノ川中流の橋本市のことと思われる)で雨が降った。

> 吉野山 行きて見む日ぞ 春の雨 明日はな降りそ こよひ降るとも

> 明日は行きて 見むとは思へど 吉野山 はやもこよひの 夢に見えこそ

25日夜半から雨が上がった。

> ひかさかの 空も晴れたり いざ子供 吉野の山を 行きてはや見な

> 吉野山 行きて見む日と 思へかも 旅の憂けくも けふは思はず

吉野山が見え始めた。

> 雲の間ゆ 吉野山見ゆ はや見むと 道の長手を 恋ひつつ来れば

> 見わたせば 百重かさなる むら山の 奥か知らえぬ み吉野の山

> ときじくに み雪降るとふ み吉野の みみかの峯も 春日()らへり

霞が晴れたので見ると、

> 真白にぞ 雪降りおける み吉野の みみかの岳は いまだ冬かも

> 天そそり かねの御岳は 雲ゐにぞ 高く見えける かねの御岳は

※「かねの御岳」とは金剛山のことか。「みかかの岳」はわからない。

吉野川沿いに行く。

> 吉野川 神さび立てる 岩むらを 見れば神代の 思ほゆらくも

川を渡る。

> 吉野川 昔しのびて 袖濡れぬ 船ゆ渡れば 袖は濡れねど

※昔を偲んで船でなく歩いて渡ったら袖が濡れた、ということか。

> 吉野川 六田の淀は よどめれど 我が世よどまず 老いにけるかも

※「六田の淀」は近鉄吉野線六田駅近くにある吉野川の淀。

山路にかかる。

> 霞立ち 木々の木の芽も はるの日の よき日に吉野 来て見るが良さ

> 吉野山 つばらに見よと 雨間あけし 神のみたまの たふとくもあるか

> 吉野山 三十とせ経にて 見ればかも うひに見るごと いやめづらしき

> まそ鏡 来て見るごとに 春草の いやめづらしき 吉野山かも

> 春の日に とりよろひたる み吉野の みつ山見れば ものもひもなし

> 旅にして もの恋ひしけど み吉野の 山川見れば 心は泣きぬ

> 旅なれば 家は思へど みよしのの 吉野の山を 見らくしよしも

> 草枕 たびにはあれど 吉野山 登りて見れば 家忘らえぬ

登る道のほとりに里人が桜の若木を植える。

> 里人い 桜植ゑつぐ 吉野山 神の御ためと さくらうゑつぐ

> いやうゑに うゑよさくらを 吉野山 尾上も谷も あひだ無きほど

> おほに植ゑて さくら枯らすな 吉野山 根固く植ゑよ さくら植うる子

> 良き人の 良しと言ひつる 吉野山 よく見て行きて よしと語らむ

> そらめかも まこと良きかも 吉野山 ふることしむぶ 我が心かも

> 朝にげに 見まくほりする 吉野山 見るときだにも 良く見て行かな

> しばしばも つぎて見に来ぬ み吉野の 名ぐはし山を おほにや我が見む

> 日ならべて 明日も見てしか 吉野山 旅の日長み 家は思へど

> みよしのの 吉野の山は ありがよひ つぎて見まくの ほしき山かも

> なかなかに 恋ひこそまされ 吉野山 見てしよけくも 我は思はず

> 吉野山 むかしの世々の 仮り宮は 春日霧(き)らへる 峯のをちかも

> 春されば 桜かざして 大君に 山も仕へし いにしへ思ほゆ

> みよしのの 吉野よく見つ 今しばし 桜花見ば 何をか思はむ

桜はなべていまだ冬木ながらなり

> 吉野山 花咲きぬやと 我が見れば ふふめる色も 未だ見えなく

※ (!)

> この頃は はや咲く年も あるものを など花遅き み吉野の山

> 日を読め ばさくらの花も 吉野山 いま廿日ばかり あらば咲かむか

> わくらばに 我は来つるを み吉野の 桜の花は けふこそ咲かめ

> 一枝に 咲きて見えこそ さくらばな 吉野見に来し けふのしるしに

> なかなかに 見捨てや過ぎむ 吉野山 咲かぬ桜を 見れば恨めし

> 吉野山 時は近きを 花見ずて 我はや去なむ 咲くも待たずて

> 咲きぬべき ほどは近けど 国遠み 吉野の桜 わはえ見に来じ

> 桜花 咲かむ日なみは 近けども なほ風寒し み吉野の山

> み吉野の 里人ともし 桜花 咲きて散るまで 見らむ里人

> 桜咲く 春は吉野に 家をりて 朝戸やりにも 花見てましを

> 家に行きて 吉野見て来と 誇るとも 花はと人の 待ち問はばいかに

> ここだくに 桜なみ立つ 吉野山 咲きのををりを 見ぬがいぶせさ

※「ををり」は「たくさん茂りあう」。桜並木が多いのに花はないの意。

> 花はしも 今は咲かねど 吉野山 桜のこぬれ 目につく我は

> 吉野山 咲かぬ桜の 花待たず 我や帰らむ 雁ならなくに

> 吉野山 よしや日長く なりぬとも 旅寝我がせむ 花の咲くまで

> 花ぐはし 桜思ほゆ 吉野山 里の垣つに 咲ける梅見れば

> なにしかも 桜咲き出ぬ 吉野山 梅は盛りも 過ぎ行くものを

> よしゑやし これも花なり 吉野山 桜と思ひて 梅をしのばむ

> 吉野山 くれなゐにほふ 桃はあれど 桜の恋ひに 目にもつかなく

> 道の辺の 青菜が花も 花数に 見つつぞ我が行く 吉野と思へば

※菜の花か。

> あしびきの 山も木立も 名ぐはしき 吉野は吉野 花は咲かねど

> み吉野は 花の名高き 山なれば 未だ咲かねど むかしく思ほゆ

> 桜花 未だ咲かねど 吉野山 春にしあれば 常ゆげに見ゆ

水分神社(宣長の父がかつて子供を授かる祈願に参詣して、宣長が生まれたところ)に詣でる。

> 吉野山 花は見ねども みくまりの 神の御前を をろがむが良さ

> 幣しろの ものとりむけて 水分の 神の御前に をろがみまつる

> み吉野の みくまり山の すめ神に 我はぞ祈る 命さきくと

> めこうから 教え子どもも まさきくと 我はこひのむ みくまりの神

> みくまりの 神のちはひの なかりせば これのあか身は 生まれこめやも

> 父母の 昔思へば 袖濡れぬ みくまり山に 雨は降らねど

> 水分の 山をし見れば かずかずに 我が世の昔 思ほゆるかも

> 命ありて 三たびまゐ来て をろがむも この水分の 神のみたまぞ

※ 13才のお礼参り、42才の花見、69才の今回。

> 賢けど 親とも親と 頼めかも あやになつかし 水分の山

> 登り来て けふの良き日に みくまりの このみづ山を 見るがたふとさ

> みたま思ふ 心からかも 見が欲しき 山は吉野の 水分の山

> 春されば こぬれが下に 鳴く鳥も 声なつかしき みくまりの山

> み吉野は いづくはあれと 神からや かくしたふとき 水分の山

> み吉野の みくまり山に ゐる雲の 朝よひ去らず 見むよしもがも

> みくまりの 神のさきはふ 命あらば またかへり来む みよし野の山

この峰より見わたす

> みくまりの 峯ゆはへたる 尾の上に 家むら続く み吉野の里

> 尾の上に 家建ちつぎて み吉野の よしのの里は 里なみも良し

里に帰り下る

> みよし野は うべもみやこと みやこびぬ 里のをとめが 門出しりぶり

> 日ならべて ゆたにも見ずて 霞立つ よし野の国を 別れかゆかむ

> 吉野山 見れど飽かにど 我が行けば 真木のはしなふ あひ思ふらしも

> まさきくて またかへり見む みよし野の 見ても見まくの ほしき春山

> またも来て 見まくほしけく 吉野山 千世の命を こひのむ我れは

> 家も思ひ 吉野も飽かぬ 旅の日を 思ひわづらひ たもとほるわは

> み吉野の 青根かみねに 立つ雲の 立ちかへり来て 後もまた見む

> むかし見し きさの中山 このたびは 見捨てかゆかむ 象の中山

> 吉野山 今日来て見れば 鴨が鳴く 夏箕の河も 行きて見がほし

下って川辺に出る。

> み吉野は 昔も今も 見つれども なほし見がほし 山川をよみ

> ももしきの 大宮人の 船なべし 吉野の川門 見ればともしも

> み吉野は 山川清し 神代より うべいでましの 宮しかしけり

> このたびは 見捨てぞ我が行く 昔見し たきの都の その跡どころ

> ここに来て なほ道遠み み吉野の たきの河内を 見捨てか行かむ

> 清き瀬の 見れども飽かぬ 吉野川 鮎子さ走る 時にはあらねど

> 吉野川 つみのさ枝の 流れ来て 寄りにけむ瀬は いづへなるらむ

> 山もよし 川もさやけし 良き人の 吉野良しとは うべも言ひけり

渡る。

> 吉野川 さきくてありまて ありがよひ またも渡らむ 我もさきくて

> まさきくて 三たび渡りし 吉野川 ももたび千たび またも渡らな

> 吉野川 かはかみ遠く 立つ霧の 思ひ過ぎめや 別れ行くとも

> けふ見つる 吉野の川の 清き瀬を いつの月日か 忘れて思はむ

> 別れ来て かへり見すれば 吉野山 山ぞかくさふ なびけこの山

その夜上市いうところに泊まって翌朝

> 昨日こそ 吉野は見しか ぬばたまの 一夜へなれば 遠くし思ほゆ

あまりうた

> み吉野の 山は山跡の 影ともに 国のしづめと 立てる高山

> すめろぎの 神の御代より 吉野山 神とも神と います山かも

> 高山は 生駒葛城 さはにあれど 吉野の山に なほしかずなり

かなふ(「穴生」「「加名生」または「賀名生」)の仮り宮(堀家住宅(賀名生皇居跡)。後醍醐・後村上・長慶の南朝の行宮)の御事を思ひ奉りて

> かなふとふ 里やもいづく 吉野山 三世のすめらが おほ宮所

> 天の下 大御心に かなひきや かなふは里の 何こそありけれ

> たぶれらが これの吉野の 大宮を 攻めまつりけむ まがごとゆゆし

※「たぶれ」は「たはぶれ」か。

蔵王堂といふを見て

> 蔵王ちふ 神は神かも 仏かも ほとけに似たる 神の名あやし

> 蔵王ちふ 神はあらしを 髪長の いつきそめたる ほとけがみかも

川を渡るところにて

> 紀路にありて 見てこしものを いもせ山 吉野にもまた あるがあやしさ

家に帰りてのち桜の花の咲きそめたるを見て

> 我が里に 咲けるを見れば ますますに けふは吉野の 桜思ほゆ

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