柴折りくぶる夕煙

[柴折り焚く](/?p=2912)で書いたことの続きだが、

後鳥羽院の「折り焚く柴」の歌は新古今集哀傷に出てくるもので、

十月ばかり水無瀬に侍りしころ、前大僧正慈円のもとへ「ぬれてしぐれの」など申し遣はして、
次の年の神無月に無常の歌あまたよみて遣はし侍りける中に

> 思ひ出づる折りたく柴の夕煙むせぶもうれし忘れ形見に

と詠み、慈円が返して

> 思ひ出づる折りたく柴と聞くからにたぐひまれなる夕煙かな

さて、これは哀傷歌であるから、誰か死んだ人のことを詠んだのに違いなく、
誰かいないかなと探してみたところ、正治初度百首(1200年)藤原隆信の歌に

> 雪埋む山路のそこの夕煙柴折りくぶるたれがすまひぞ

などとある。また、慈円が同じ正治初度百首に詠んだ歌に

> 雪のうちに柴折りくぶる夕煙寂しき色の空に見えぬる

とある。慈円はよく他人の本歌取りをする人だから、おそらくは、隆信の歌の返しとして詠んだものであろう。
新古今集を編纂するため後鳥羽院は6人の選者と11人の寄人と事務方1人からなる和歌所を設置したが、
隆信は寄人の一人であり、1205年、新古今集の竟宴直前に死んだとされる(隆信の死を悼んでそろそろいじくり回すのをやめた、とも解釈できよう)。
おそらく後鳥羽院は隆信の死後、その歌を思い出して、上記の歌を詠んだのではなかろうか、
それをやはりかつて隆信の本歌取りをして詠んだ慈円に示したのではなかろうか、
と推測できるのである。

水無瀬とは後鳥羽院の離宮のこと。
「ぬれてしぐれの」はよくわからない。なんだろうこれは。

「折り焚く柴の記」は、白石が子孫のために残した一種の回顧録であるから、後鳥羽院の、
「思ひ出づる折り焚く芝」「忘れ形見」が一番しっくりくるわな。

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