法住寺合戦

[法住寺合戦](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E4%BD%8F%E5%AF%BA%E5%90%88%E6%88%A6)。
これはひどい。
義仲も家人にいさめられ、
後白河法皇も公家らに諫められているが、どちらもひかなきゃこうなる罠。
首都を制圧している者としてはクーデターに出るしかなく、
また義仲に最後通牒を出しておき、
平知康なる宮廷人に比叡山と園城寺の僧兵を率いて義仲を討伐させようとしたとすれば無謀としか言えない。
なんかまあめちゃくちゃな市街戦だったようだな。

平家が都落ちはしたものの、南海道に天皇を擁して勢力を保っている。
源義仲が京都を占拠しているが、乱暴者でかつあまり武力もあまりあてにならない。
鎌倉には頼朝が居て、さらに奥州には藤原氏がいる。
このような状況において、もし自分が後白河法皇の立場だったらどうするか。

うーんと。
たぶんだが、平氏と休戦して安徳天皇に京都に戻ってもらう条件で、平氏全員恩赦。
かつ、義仲と頼朝の仲裁。
院政が平氏と源氏をうまくコントロールできるとわかれば、
自然と院政が強化されて、しばらくは安泰だったのではないか。
義仲と全面戦争に発展し、頼朝の介入を受け、ゆくゆくは平氏も藤原氏も滅亡し、
権力が幕府に集中するというのが最悪の選択肢だったわけだが。
まあ、時代の流れとしてはそうなるしかなかったのかもしれんが。

切腹

腹を切って内臓露出しただけじゃ死ねないんだよ。
一日くらいは絶命しないこともある。
だから、江戸時代に様式化されると、苦しまないよう介錯が始末してくれる。

もともとは苦しんで恨みを残して、周りに迷惑をかけて汚く死ぬための死に方だったわけだし。

だから、今回の切腹は、割と正しいやり方だったと思うよ。
歴史的には自分の死をもって嫌がらせをするために切腹する場合もあり、
きれいに死ぬのが切腹とは限らない。

逆に、ブラックホークダウンみたいに、大動脈が切れれば30秒くらいで出血多量で死んでしまう。
手当が間に合わない。

石橋山と石垣山

石橋山は源頼朝が挙兵後に敗れて真鶴から安房へ海路逃げたという、古戦場。早川漁港から南に少し行った海っぺり。
石垣山は秀吉の小田原攻めで一夜城が建ったところ。生命の星地球博物館の近く。
場所も近く紛らわしいが別の場所。

* [佐奈田霊社](http://www4.tokai.or.jp/sanada-reisha/)

一度まとめて観光しておかねばな。