香川景樹の歌

面壁の達磨

> あまりにも背き背きて世の中の月と花とにまた向かひけり

面白いかもしれない。

> 山よりも深き心のありがほに市の中にもかくれけるかな

市井の聖ということか。
なんか、いかにも題材が江戸時代っぽくて面白いな。
自由自在というか。

良寛の歌

良寛の歌は僧侶らしい静かな美しい歌だ。
明らかにわかるレベルの差。

> あしびきの深山を出でてうつせみの人のうら屋に住むとこそすれ

> しかりとてすべのなければいまさらになれぬよすがに日を送りつつ

> はなかつみかづにもあらぬしづが身を長くもがもと祈る君はも

はなかつみと数がかけてある。
明らかに万葉調が見てとれる。
しかし武士のような勇ましさはない。

> 深山木も花咲くことのありといふを年経ぬる身ぞはるなかりける

> 年月の来むと知りせばたまぼこの道のちまたに関据ゑましを

このクオリティの高さはすごい。すべてただたまたま開いた一ページの中にある歌なのだが。
すごいな。
こういう歌が詠みたいとさえ思う。

賀茂真淵の歌

本居宣長全集を読んでいると、村岡典嗣の評として(やや抜粋)

> 歌人としての宣長は、遺憾ながら第二流、もしくは以下の評価を甘受せねばなるまい。
文学や詩歌に対する、未曾有のすぐれた理解や見識を示した彼にして、なにゆえにかくのごときであったかは、
あるいは不思議としうるくらいであり、学者と作者は必ずしも一致しないとはいいながら、この点賀茂真淵などと比較して、全く違っている

が紹介してあり、では賀茂真淵には秀歌があるかと思って、
岩波書店日本古典文学大系「近世和歌集」を読んでみる。
確かに面白い歌もある。

> 大魚(おほな)釣るさがみの海の夕なぎに乱れていづる海士小舟(あまをぶね)かも

> いにしへのしづはた衣きし世こそおりたちてのみしのばれにけれ

> 沖つ舟手向けすらしも岩浪のたてるありそにかかるしらゆふ

> 雲のゐるとほつあふみのあはは山ふるさと人にあはでやまめや

> 故郷にとまりもはてず天雲の行きかひてのみ世をば経ぬべし

> もののふの恨み残れる野辺とへば真葛そよぎて過ぐる秋風

> 見わたせば天香具山うねび山あらそひたてる春霞かな

> むらさきの芽もはるばるといづる日に霞色濃き武蔵野の原

> つくば山しづくのつらら今日とけて枯生(かれふ)のすすき春風ぞ吹く

> さくら花花見がてらに弓いればともの響きに花ぞ散りける

> 山ふかみおもひのほかに花をみて心ぞとまるあしがらの関

> かげろふのもゆる春日の山桜あるかなきかのかぜにかをれり

> しなのぢのおきその山の山ざくらまたも来て見むものならなくに

しかし特に驚いたのは次の二首

> うらうらとのどけき春の心よりにほひいでたる山さくら花

> もろこしの人に見せばやみよしののよし野の山の山さくら花

「うらうら」の方は「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」の本歌ではないかというくらい似ているし、
「もろこし」の方も「もろこしの人に見せばや日の本の花の盛りのみよしのの山」にクリソツ。 もちろん、真淵は宣長の33才の年長であり、宣長が39才のとき(1769)に真淵は亡くなっており、
先に詠んだのは真淵である。
宣長も、わかった上でまねて詠んだのだろう。

> 世の中によしのの山の花ばかり聞きしに勝るものはありけり

> みよしのをわが見に来れば落ちたぎつ瀧のみやこに花散り乱る

これらも真淵が吉野山を詠んだ歌。

宣長は43才のとき(1772)吉野に桜を見に行っている(菅笠日記)。
猛烈に桜の歌を詠み出したのは44才の時からだ。
思うに宣長の山桜好きは真淵から受けた影響(あるいは師・真淵を慕う気持ち)と、実際に吉野山を訪れたことによるのはほぼ間違いないし、
「敷島の」の歌が真淵へのオマージュであることも確かだろうと思う。

真淵の歌を全体としてみれば、宣長と大した違いのない古今調だが、
中にはわざと万葉調に詠んだものもある。
田安宗武ら武士の師となったこともあり、武家の影響もみられる。
一方、宣長は青年期から老年まで歌の傾向はまったく変動がない。
二十台後半に書いた「おしわけをぶね」において彼の思想と学問の方針は完全に完成されているのは見事である。
しかしゆえに十年一日のごとく「ほとんど生長も発展もみられないことも、やがて彼が真の詩人でなかったゆえとすべき」などと言われる始末だ。

「近世和歌集」の真淵の歌は抜粋なのでこれ以上なんとも言えないのだが、
宣長に比べて真淵の歌が優れているとするのは単なるアララギ史観に過ぎないと思う。

目の付け所は良い

[東京都は『源氏物語』を有害図書に指定しよう!](http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100319/213488/)

ついでに「とりかへばや物語」も・・・

なるほど、[里中満智子の指摘](http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1003/19/news026.html)だったのか。
なーんだ。

> なぜアニメや漫画だけなのか。18歳未満の性体験でいえば、『源氏物語』や『ロミオとジュリエット』も規制対象になる。原作はよくて、漫画化したものは子供に見せられないのか。規制の線引きがあいまいだ。あまりに過激な表現はよろしくないというのは理解できるが、法規制は拡大解釈されがち。表現の幅が狭められることが懸念される

漫画家ばかり文句を言ってるのは漫画が槍玉に挙がったからなんだな。

三島由紀夫が復活する

小室直樹「三島由紀夫が復活する」あまりに懐かしいので図書館で借りてみた。
毎日ワンズ2002年初版となっているが、
わずか8年前に読んだはずがない。
20年以上前のはずだ、と思って調べてみると、
[小室直樹文献目録](http://www.interq.or.jp/sun/atsun/komuro/)には

> 発行:毎日フォーラム 発売:毎日コミュニケーションズ
1985年03月15日初版第1刷発行
ISBN 4-89563-901-0 C0031

とある。
さもありなむ。
もう25年前よな。

酒を詠んだ戯れ歌

> 飽き果てぬ酒に心の失せぬ間に酒なき里にうつり住ままし

> あさか山かげさへ見ゆる山の井の浅くぞ酒は飲むべかりける

> ゑはばとて秩父の山のいはが根のいはずもありなむよしなし事は

> 雨降れば湯気にくもれる窓の戸のゑひて心のなどか晴れざる

> 春の日に酒てふもののなかりせば花は咲くとものどけからまし

> いづこにか酒をのがれむみよしのの奥にも酒はありてふものを

> けふも酒明日もさけさけむらぎもの心のぬしは酒にこそあらめ

岩波文庫和歌集

ざっと検索してみると、現在岩波文庫で入手できる和歌集は

> 古今和歌集 佐伯梅友校注 定価 840円 1981年1月16日発行

> 新訂 新古今和歌集 佐佐木信綱校訂 定価 798円 1929年7月5日発行

> 新勅撰和歌集 久曾神昇,樋口芳麻呂校訂 定価 735円 1961年4月25日発行

> 新葉和歌集 岩佐正校訂 定価 735円 在庫僅少 1940年11月29日発行

この四つだけのようだが、すでに全部買ってしまった。
新葉集は予備にもう一冊くらい買っておいた方が良いかもしれん(笑)。
古今集は、今月

> 古今和歌集 (ちくま学芸文庫) (文庫) 小町谷照彦

というものが出た。そのほか、角川ソフィア文庫、講談社学術文庫、などからも出ているわけだが、
文庫本という形態を考えたとき、現代語訳や解説をあまり詳しくして厚くしてしまうと持ち運びが不便。
角川や講談社は分冊にしてしまっているがなおさら不便。金もかかるし。
結局岩波文庫が一番薄くて安くて便利となるのだが、
岩波文庫版にしても古今集はあと半分の厚さで出せるのではないか。すかすかだ。

岩波文庫だと新古今和歌集が一番どんな書店にも並んでいて入手しやすいのだが、
佐佐木信綱の戦前の版で活字も印刷も悪いし、不親切だし、解題も勇ましいばかりであまり役に立たない。
しかし他の人がやり直すとこれもまた分冊になってしまうのだろう。

後撰集、拾遺集あたりも文庫本でほしいところで、古今集と併せて一冊の文庫本にしてくれるとたいへんありがたいのだが、
歌だけ淡々と収録するなら入らなくもないが、そんな本はたぶん誰も買いたがらず、詠みたがらないのだろうと思う。
文庫本というのは実に便利で kindle とか ipad などにはない便利さがある。
小さいし軽いしポケットにもつっこめるしはじっこを折ったり付箋はったり、メモ代わりに書き込みもできる。
書き込みや折ったりするのは図書館の本ではできまいが、しかし愛読書を文庫でとなるとそれも可能。
正直移動中に kindle で読書するかどうか疑問だが、
しかし満員電車で身動きとれないとき片手で操作できるならやや便利かもしれん。
それで勅撰和歌集などをそれぞれ300円くらいで出してくれれば全部集めてもせいぜい7000円くらいで、
デジタルだから絶版になることもなく便利なのではないか。
kindle のような端末で出すとするとページとか見開きなどという概念はむしろじゃまで、
昔ながらに巻物みたいにして縦書きの横スクロールできるようにすると良かろうと思う。
歌は10とばしとか一巻とばしとか、そうなると動画再生に気分は似てくるな。

古今集

古今集を読み始める。
面白い。
新古今で家隆の

> おもふどちそことも知らず行き暮れぬ花の宿貸せ野辺のうぐひす

が実は素性法師

> 思ふどち春の山べにうちむれてそことも言はぬ旅寝してしか

の本歌取りだったりとか。
実朝の万葉調というのが実は万葉集から来たというよりは古今集に集録された東歌に影響されたんじゃないのかとか。

春下はさくらが散る歌ばかりだ。
紀友則の

> しづごころなく花の散るらむ

や小町の

> 我が身世にふるながめせしまに

が有名だが、それに類する歌がいくつもある。たとえば貫之の

> 桜花とく散りぬとも思ほえず人の心ぞ風も吹きあへぬ

> 春霞なに隠すらむ桜花散る間をだにも見るべきものを

よみ人しらずの

> 残りなく散るぞめでたき桜花ありて世の中はての憂ければ

> うつせみの世にも似たるか花桜咲くと見し間にかつ散りにけり

> 散る花をなにか恨みむ世の中にわが身もともにあらむものかは

素性法師の

> いざ桜我も散りなむひとさかりありなば人に憂き目見えなむ

凡河内躬恒の

> しるしなきねをも鳴くかなうぐひすの今年のみ散る花ならなくに

などのように未練なく散るさくらを愛する歌が多い。
これらの歌は明らかに宣長の趣味とは異なり、というよりも、宣長が平安時代以来の日本人のメンタリティからかなり逸脱しており、
故に宣長が誤解される原因となっていることを意味している。

思うに、「ますらを」は万葉時代には明らかに「立派で優れた男性」特に「強い武人」を意味していた。
しかし古今の時代にはそれらがまったく忘れられ、
新古今の時代になると単なる「農夫」「狩人」「漁師」「木こり」の意味、つまり野山や海で肉体労働するまずしくいやしい男性の意味に使い、
知的労働階級たる殿上人たちが田舎の風景を歌に詠む上で鹿や雁や鶴などと同じく、
いわば屏風絵というジオラマの中の小道具扱いされている。
特にこの「ますらを」を繰返し繰返し誤用しているのは俊成である。
かれの武士蔑視、貴族意識ははなはだしいものがあっただろう。
このことは万葉集をちょっとでも学びまた新古今の歌に親しんだ人々にはすぐに察せられただろう。
武家の時代になって万葉集を研究した真淵らなどはこのような堂上歌風に憤激したに違いない。
ところが宣長はそういうところにはまったく無関心で、古今・新古今時代の誤用であることは明らかなのに、それに言及する気すらないように思われる。
また、あれほど源氏物語には熱心なのに平家物語などの軍記物にはなんら関心を示していないが、
やはり、宣長という人はどこか、徳川の尚武の時代にあって、何か根本的にひとりだけ浮いているところがある。
この部分を宣長はまったく解決していない。
真淵による宣長批判も、大筋には正しいと思う(ただし学問的な緻密さ正確さでは真淵は宣長にはるかに及ばないとは思うが)。
おそらく宣長は心情的あるいは精神構造的には「公家」であって、
公家は公家自身を自己批判できない。
だが真淵らは武士か町人か、ともかくも徳川支配の世の中の一般的な庶民の立場に居て、
公家を外から批判的に見て、
公家というのがどうしようもなく退廃的で衰え落ちぶれたように見えただろう。
なぜ公家はかつては栄華を極め今はあのように惰弱なのか、
なぜ武家はいまや民百姓を代表して世の中を経営しているのか、その現実を目の当たりにしているからこその、
源氏物語、新古今批判なのである。

プーさんの鼻

俵万智「プーさんの鼻」をさらっと読む。
そうかあ。
かつての学生歌人が20年経って今はこんな歌を詠んでるのか。
我が子を「みどりご」と呼ぶシングルマザー。
贈り物が

> いるけどいないパパから届く

このあやうさがやはり俵万智なんだよなあ。
ある意味20年前となんら変わらず歌を詠み続けているんだなと思った。

> 記念写真撮らんとするにみどりごは足の親指飽かず舐めおり

うーん。
「それぞれの未来があれば写真はとらず」からこうなったんだなあ。
大きなお世話だがけっこう高齢出産だな。

ねぢけゆくわが心

木の花の 咲くがなどかは めづらしき よそぢとしふる 我が身なりせば

木の花の うつしゑうつす はかなさよ よろづの人も ならふてぶりに

ねぢけたる 老い人なれや わこうどの いはふ日なれど たのしくもなし

春の日に ねぢけゆくわが 心かな おくりむかふる 人の世ぞ憂き

いはふとて 飽かざらましや 千とせふる つるかめの身の 我ならなくに

いはふべき 春の良き日に しかすがに ふさがりとざす 我が心かな

ねぢをれて ひねまがりたる 老いけやき 憂き世に長く ふればなるべし

浮かれ女や 浮かれ男つどふ 春の野辺 たまゆらにこそ 浮かれやはせめ