家隆の
> 海の果て空の限りも秋の夜の月の光のうちにぞありける
だが、この人は定家と同時代の人で、けっこうおもしろい歌をたくさん詠んだのだが、
玉葉集に採られていると思って見るとなんとなく浪漫的で幻想的のような感じがする。
つまり為兼の
> くにつちうるふあめくだすなり
のような感じ。定家の幽玄とかそういう禅宗的、前衛的な意味での幻想的というのでなくてね。
浪漫的としか言いようがない。
つまり、説明しにくいが、日本の花鳥風月を歌っていても、
どことなくドビュッシーやラヴェルの交響曲のようなものを感じるということ。
家隆の歌では私は
> 思ふどちそこともいはず行き暮れぬ花の宿かせ野べの鶯
これがわりとすきなのだが、素性法師の
> 思ふどち春の山べにうちむれてそこともいはぬ旅寝してしが
と大中臣能宣の
> をみなへし我に宿貸せいなみののいなと言ふともここを過ぎめや
の二つの歌を合成したような歌なのだな。
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