子規

ホトトギスなのだが、
中文のウィキペディアには「小杜鵑」と表記されており、
単に「杜鵑」と書くとこれはカッコウの総称となる。
「中杜鵑」はツツドリ。
「大杜鵑」はカッコウ、これは「郭公」「霍公」とも言う。郭公または霍公は明らかに鳴き声の音写だろう。

さらに中文ウィキペディアで「子規」を検索すると「鷹鵑」にリダイレクトされる。
「鷹鵑」は英語では Large Hawk Cuckoo
で、要するに、鷹のように大きなカッコウということだろう。

[杜宇](http://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%9C%E5%AE%87)は中文ウィキペディアにも記事がある。
杜宇は、商周から春秋時代まで蜀にあった国の帝王で、望帝とも言う。
宋代になった伝記「太平寰宇記」に、

> 望帝自逃之後,欲復位不得,死化為鵑,每春月間,盡夜悲鳴。蜀人聞之曰:我望帝魂也。

とあり、また、

> 傳說其死後,每逢農曆三月,便化為杜鵑,以叫聲催促蜀人趁農時播種。

とあるから、毎年旧暦三月にホトトギスが鳴いて蜀の人たちが種まきをしたという風習があったのだろう。
「不如帰去」とは杜宇の言葉だとあるが、単に鳴き声の音写だろう。
「蜀魂」もまた同じ伝説による。

「田鵑」というのは、田んぼにいるカッコウの一種か。ともかく、これらの漢字表記の差異は、
一つは古代の伝説、もう一つはさまざまなカッコウの種類によるものだと思われる。

沓手鳥、沓直鳥などは和語由来と思われる。

> ほととぎす鳴きつる夏の山辺には沓手いださぬ人や住むらむ

沓手とは靴を買う代金。
広辞苑によれば、ほととぎすは前世に靴を作って売っていたというが、
おそらくは中国ではなくて日本の伝承なのだろう。

それで、思うに、蜀に古代王国があって、戦国時代に秦に滅ぼされたなどというのは後世の作り話であろう。
おそらくそういう伝説はさかのぼれても三国志の頃までだろう。
さらに、ホトトギスが血を吐くうんぬんという話はもっとくだって宋代以後の伝承だろう。
となると、新古今集の時代に日本に伝わって影響を与えた可能性はあるが、
古今集以前にはありもしない話だったに違いない。

事実、和歌を見てもホトトギスが血を吐くなどという表現はまったくない。
江戸期になってもない。
しかるに、子規は22才で結核を患い喀血して子規と号した。
明らかに歌人の発想ではないと思う。
もし影響を受けたとすると漢詩か何かだろうと思う。

白居易の詩に

> 杜鵑啼血猿哀鳴

とある。唐代だな。ということは宋よりはずっと前だわな。
ということは古今集時代に日本にすでに伝わってるよな。うーむ。
まあ、ホトトギスやサルの鳴き声というのは美しいというよりもどちらかと言えば凄絶な感じだよな。
そんな雰囲気を詠んだものだろう。

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