宇宙に満ちた気

投稿者: | 2006年1月2日

脳科学を検索してみると出てくるのは心理学か哲学ばかり。
ゲーム脳がどうしたこうしたとか、クオリアがどうのこうのとか、なんか怪しげな世界だ。
あまりお近づきにならない方がよいのか。

脳科学といっても結局PETとかMRIで領野のどこが活動してるか調べてるだけだ。
そこからゲーム脳などという安直な珍説が生まれてくる。
マスコミは自然科学からこういう道徳的で啓蒙的なデータが出てくるとすぐ飛びついて祭り上げる。
日本人の科学的な訓練(科学リテラシーというかのか)はまだ脆弱だから、あっという間に明治以前の道徳と学問が不可分に結びついた暗黒時代まで退行してしまうのだ。
きわめて危険だ。
今でも大学教授というものはネクタイ締めて偉そうなことを言ってるとか、白衣を着て実験してるというようなステレオタイプでみられているが学問とか科学とはそんなこととは何の関係もない。

ゲームをやってる最中に脳のどの部位が使われているかとか脳波がどのように変化するかだけで、ゲームが有害かどうかを決めつけられるはずがない。

ともかく今は脳のどこそこが梗塞したらどの機能が損なわれるとか、これこれという行動をとれば脳のどこそこが活動するかとか、その程度のことを「非侵襲的解剖」などと言ってありがたがってるのだから困ったものだ。

アトムの前身であるメトロポリスなど読むと手塚治虫がもともとは東洋思想の強い影響下にあったことがわかる。
生命とは「宇宙に満ちた気」であって太陽の異常黒点活動によって人工生命が生まれたり滅んだりする。
朱子学の陰陽説そのものだ。
ところがそれから手塚治虫は多少科学を勉強したらしく、アトムには機械論は出てくるが陰陽説っぽさはまったく出ない。
50年前の日本人は東洋思想にとらわれていたが現代人でも似たようなもんだ。
マトリックスとか攻殻機動隊なども「脳」とか「意識」というものがまるでわかってないから、あのような壮大な妄想が出てくるわけで、わかってしまえば「脳」とか「意識」というものは多少複雑ではあるかもしれんが、もっと当たり前な自明のものに違いない。

だいたい世相がだんだん悪くなるとかいやな時代になりましたねえなどというが、20世紀ほどひどい時代はなかったんで、あのころは犯罪も不正も非常に多く治安も悪かったが、たいていはローカルな社会に閉じてたからよその地域のことなど知りもしないし知る方法もなかった。
サザエさんなんか読んでると昔は戸締まりというもんがなかったから、刑務所帰りの押し売りが平気で縁側まで押しかけて婆さんにゴムひもかなんか売りつけてる。
今じゃありえない話だ。
今じゃ日本のどこかでおかしな事件が起きるとマスコミがよってたかって大騒ぎするが、そんなの昔は日常茶飯事だったに違いない。
じゃあ19世紀やその昔はまだましかというとおそらくは20世紀よりずっと悪かったに違いなく、時代をさかのぼるほど世の中は粗雑で悲惨で無知でいい加減だったのはほぼ間違いあるまい。

動物園の猿を観察するというので結局6000円の安物の双眼鏡を買った。
オリンパスの軽いやつ10倍。
8倍でも良かったのかもしれん。
重くてでかい防水なやつはかっこいいが腕が疲れそうだ。
双眼鏡で見るともちろん立体視できるのだが、遠くの物体が皆平面に見えておもしろい。
双眼鏡ごしでは数メートル数十メートルの視差は認知できるが、数センチの視差はわからんのだな。
片目で見た方が逆に奥行き感がある。
おもしろいねぇ。
両眼視差を完全にキャンセルする双眼鏡があるとおもしろいかもね。
ていうかそれ左右同じ映像にすれば済む問題なのか。
いや、そうではあるまい。
視差のあるところと無いところがあるから視差を感じ、奥行きを感じるのだろう。
視差がまったく無いと片目で見たときのように脳が奥行きを知識ベースで勝手に補完するのでないか。
みんな平面に見えるような仕掛けって作れるのかなぁ。

カテゴリー: 未分類

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA