中山家

『明治天皇記』嘉永五年、明治天皇出生。
当時は祐宮(さちのみや)と呼ばれていた。
父は孝明天皇、母は中山慶子。
典侍というから中宮や女御の次くらい?
生まれた場所は慶子の実家、中山八邸。
中山家は藤原氏の公家だが、二百石というから、かなり貧乏だ。

慶子の父が中山忠能。
忠能の母は正親町三条実同の娘・綱子。

忠能

> 天照す神のみまごを我がやどのものとよろこぶけふのあやしさ

綱子

> けふのぼる影くもらねば日の御子のてらしますらん天が下をば

> 日の御子はここにいませり天津空寒き夜あらし心して吹け

> 七十の老婆がうゑにしたちばなは君が八千代の春をまたなん

「ななそじのおうな」と読ませたいのか。それとも「ななじゅうのろうば」なのか。
いずれにしても面白い歌。

> 我が命生きかへるよりうれしきはこの日の御子の今日のお祝ひ

とまあ、特に綱子、つまり明治天皇のひいおばあちゃんの喜びようがものすごい。
慶子の歌というのがみあたらない。当時まだ満16歳くらいだから、無理はないかも。
綱子は正親町三条家の娘だし、年も年だから、まあ歌は習っただろう。
明治天皇の外祖父・忠能は特に歌人として目立った人ではなかったようだ。
だが、孝明天皇が崩御した七日忌に詠んだ歌

> 雲のうへに君がなみだや降りぬらむ晴るるひまなき春雨のそら

など、なかなか良い。

全体的にキリスト教の賛美歌のようだが、
もともとは賛美歌を翻訳した人たちが和歌を真似たのであり、
その後和歌は忘れられてしまった。

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