鎧袖一触

投稿者: | 2010年1月10日

岩波書店新日本文学大系43保元物語、平治物語、承久記、を読み始める。

「もっとも古態をとどめる」写本だというので、おそるおそる読んでみると、

> 又、清盛ナンドガヘロヘロ矢ハ、何事カ候ベキ

としか書いてない。
[j-textsの保元物語](http://www.j-texts.com/sheet/hogenall.html)だと

> まして清盛などがへろへろ矢、何程の事か候べき。鎧の袖にて払ひ、けちらしてすてなん

となっており、なるほどこれならば「鎧の袖」の話が出てくる。
さらにここから頼山陽の記述「鎧袖一触」とつながる。
しかし古い版ではそもそも「鎧の袖」自体が言及されていない。

なるほどなあと思った。
面白いところは、あとから誰かが付け足すわけだなと。
最初から疑ってかからんといかんわけだな。
そう考えると頼山陽の「意訳」もまた許される範囲だとも言える。
もともとが一種の改竄なわけだから。
いやそもそも為朝の活躍があったかどうかもあやしいわけだが。

為朝は14才から17才までの間に鎮西九国をすべて従えて、
上から言われるわけでもないのに勝手に鎮西総追捕使と称した、などと書いてあるが、
常識的に考えてそんなことができるわけがない。
仮に太宰府に反してそんなことをやろうものならば、
平将門が関東でやったこととどれほどの違いがあるか。

保元物語の中の為朝はそうとう誇張されているようだ。
保元の乱でさえ、ほんのちょっとしか活躍はしておらず、
なので流罪で済んでいるのかもしれない。

しかしまあこんなハードカバーの小難しい本を喜んで読むようになるとは思いもしなかった。

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