本棚を整理していたら燃えよ剣の下巻が出てきたので読み始めた。
もともと私の本ではなく死んだ祖父の本を拝借したもの。
うーん、なんちゅうか、七里研之助を倒し、伊東甲子太郎を暗殺したところまでは、
面白かったんだが、その後は史実をなぞるだけな感じでどうでしょう、という。
うすうす感づいてはいたがやはり七里研之助は架空の人物だったのだな。
こちらはまあ良く書けてるとして、妻として出てくるお雪とのあれこれというのは、もうはっきり言って邪魔。
下巻読む気を失わせる一番大きい原因かも。
やはり、鳥羽伏見の戦い辺りからもう新撰組がどうこうという話ではなくなってしまうので、
小説としては書きにくかったのではないかなとか。
後書きが陳舜臣で割と面白い。
司馬遼太郎がこれを執筆したのが昭和三十年代後半というのだから、ちょっと驚く。
当時三十才後半くらい。
まだ私は生まれてない。
そのころは調布も府中も八王子もあの辺一帯まだまだ田舎で桑畑だらけだっただろう。
ちょうど、今で言う所沢あたりのように、冬は畑から土埃がもうもうと舞ったのだろう。
初夏には竹のささらで地面を叩きながらマムシを避けないと歩けなかったのだろう。
気性も荒く、殺伐としていて、子供の喧嘩も酷かったのだろう。
という多摩の風土を書いたものとして読めば面白いのだが、
維新後に北海道に渡って独立国家を作ろうなどというのはどうも私にはただの茶番に思えて仕方ない。
結果論というやつかもしれんが。
内村鑑三「代表的日本人」の「上杉鷹山」のところを読む。
山形県的には偉人、というか昔の日本人的には偉人なのか。
江戸中期くらいに藩の財政改革として荒れ地に桑を植え始めたのかな。
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