歴史を学べば学ぶほどに筋書きは変わっていく(笑)。
歴史小説を書く人はみなそうなのではないか。
それともしっかり調べた後で書き始めるものなのだろうか
(最初から結果ありきで書き始め、調査で証拠固めするだけだから、筋書きは微動だにしない人もいるかもしれんな)。
アルプスの少女デーテのマジェンタの戦い、ソルフェリーノの戦い、
ナポリ攻防戦までをまた書き変えた。
ここらは最初、ソルフェリーノの戦いという、ごく短い分量のセクションに過ぎなかった。
ナポレオン三世とフランツヨーゼフ一世は世間知らずで酔狂な皇帝として描いていた。
ギュライはのろまでぐずで無能な将軍だと思っていた。
ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世は野心的で好戦的な君主だと思っていた。
しかし、いろいろ調べていくうちにこれらの人たちはすべてある種の常識人であり、普通の感覚の持ち主であり、時代に翻弄された人たちであると思えるようになった。
カヴールやフランチェスコ二世やガリバルディでさえもだ。
まあ、すべてはデーテに書いてある通りなので、読めばわかると思う。
たぶん私以外が書けばもっと面白おかしく劇画的な人物として書くだろうと思う。
ピエモンテは先の対オーストリア戦以来、実に周到に策を練って富国強兵に努めた。
三国干渉から日露戦争に突き進む日本にだぶって見える。
第一次イタリア統一戦争が1849年、第二次統一戦争が1859年。
かたや日清戦争が1894年で日露戦争が1904年だから、
イタリアで起きたことが45年後に日本にも起きた、
と見ることができる。
いや、日本人ならどうしてもそう考えてしまうに違いない。
少なくとも私はそんなふうに考えざるを得なかった。
そのピエモンテに対して私は「遺恨十年、一剣を磨く」という形容を使ったのだが、これは頼山陽「川中島」の一句である。そうとしか、言いようがないのである。