幼名を調べ始めて思うのだが、
犬丸とか虎丸など、動物名に丸を付ける名前というのは非常に一般的な気がする。
それで近代でも、野口英世の母の名は鹿であったし、
女性名にも熊とか虎などがあった。
元服して付ける名前が正式な名前であるというが、
古来日本の名前というのは幼名しかなかったのではないか。
少なくとも庶民は幼名のまま一生を過ごしたのではないか。
柿本人麻呂とか猿丸、蝉丸、こういう名前は元服などしなかった庶民の名ではないか。
山部赤人や山上憶良もそうではないか。
そんな気がしてならないので、万葉集などを見てみると、
他にもいろんな例がある。
麻呂が付くもの、
阿曾麻呂(あそまろ)。
清麻呂(きよまろ)。
鮎麻呂(あゆまろ)。
駿河麻呂(かすがまろ)。
奥麻呂(おきまろ)。
兄麻呂(えまろ)。
乙麻呂(おとまろ、弟麻呂)。
福麻呂(さきまろ)。
黒麻呂(くろまろ)。
奈良麻呂(ならまろ)。
仲麻呂(なかまろ)。
比良麻呂(ひらまろ、枚麻呂)。
田村麻呂(たむらまろ)。
武智麻呂(むちまろ)。
巨勢麻呂(こせまろ)。
安麻呂(やすまろ)。
雄能麻呂(をのまろ)。
常麻呂(とこまろ)。
今麻呂(いままろ)。
耳麻呂(みみまろ)。
鈴伎麻呂(すずきまろ)。
苗麻呂(なへまろ)。
梁麻呂(やなまろ)。
咋麻呂(くひまろ)。
愛宕麻呂(あたごまろ)。
葛野麻呂(かどのまろ)。
小黒麻呂(をぐろまろ)。
内麻呂(うちまろ)。
縵麻呂(かづらまろ)。
賀祜麻呂(かこまろ)。
田麻呂(たまろ)。
苅田麻呂(かりたまろ)。
長田麻呂(おさだまろ)。
島田麻呂(しまだまろ)。
宮田麻呂(みやたまろ)。
海田麻呂(うみたまろ)。
長谷麻呂(はせまろ)。
綿麻呂(わたまろ)。
家麻呂(やかまろ)。
富士麻呂(ふじまろ)。
福当麻呂(ふたぎまろ)。
文室麻呂(ふみやまろ)。
元利麻呂(もりまろ)。
奈止麻呂(なとまろ)。
帯麻呂(おびまろ)。
多太麻呂(ただまろ、縄麻呂)。
虫麻呂(むしまろ)。
公麻呂(きみまろ)。
堺麻呂(さかひまろ)。
道麻呂(みちまろ)。
奈弖麻呂(なでまろ)。
楓麻呂(かえでまろ)。
訓儒麻呂(くすまろ、明らかに儒者、陰陽師らしい漢字の選び方)。
蔵下麻呂(くらじまろ)。
飯麻呂(いひまろ)。
宿奈麻呂(すくなまろ)。
嶋麻呂(しままろ)。
蓑麻呂(みのまろ)。
豊麻呂(とよまろ)。
赤麻呂(あかまろ)。
国麻呂(くにまろ)。
大麻呂(おほまろ)。
子麻呂(こまろ)。
閉麻呂(あへまろ)。
訶多麻呂(かたまろ)。
倉麻呂(くらまろ)。
石川麻呂(いしかはまろ)。
足麻呂(たりまろ)。
龍麻呂(たつまろ)。
麻呂は、もと、男子の自称か。
明らかに丸、円と同根。
一個の、という意味か。
通常男子の名だが、翁丸のように犬の名に付けることもあったようだ。
足(たり)が付く例、
島足(しまたり)。
鎌足(かまたり)。
石足(いはたり)。
仲足(なかたり)。
名足(なたり)。
越足(こしたり)。
年足(としたり)。
道足(みちたり)。
継足(つぐたり)。
潔足(きよたり)。
比広足(ひろたり)。
五百足(いほたり)。
小足(をたり)。
足はもともとは一人(ひとり)、二人(ふたり)、三人(みたり)、
四人(よたり)、幾人(いくたり)などの「たり」と同じ。
たりは朝鮮語かもとのこと。
たぶん、麻呂、足、だけで人名になりえたのだろうと思う。
そのほか、
毛人(えみし)。
堅魚(かつを)。
広耳(ひろみみ)。
四縄(よつな)。
宇合(うまかひ)。
八束(やつか)。
鹿人(かひと)。
たぶん固有名詞だが、一般名詞かもしれない例。
東人(あづまひと)。
真人(まひと)。
伊勢人(いせひと)。
祖父麻呂(おほぢまろ)。
たぶん一般名詞、或いは役職名。
大嬢(おほいらつめ)。
女郎(いらつめ)。
郎子(いらつこ)。
娘子(をとめ、または処女)。
老夫(おきな)。
武良自(むらじ)。
犬養(いぬかひ)。
鳥養(とりかひ)。
牛養(うしかひ)。
副使麻呂(ふくしまろ)。
船守(ふなもり)。
意美麻呂(おみまろ)。
おそらく元服した後の名前。
大伴家持。
藤原広嗣。
阿倍広庭。
家持の父は旅人(たびと)。こちらはどうも元服後の名前とは思えない。
[日本における諱の歴史](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B1#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E8.AB.B1.E3.81.AE.E6.AD.B4.E5.8F.B2)。
しかし嵯峨天皇はすでに平安時代であって、
家持はその前の人だから、
家持が諱であるなら諱はもう少し前から始まっていないといけない。
諱とか戒名というが、もともとは死んだ後に残す名前であったかもしれない。
或いは朝廷に出仕するために付けた公の名前。
いずれにせよ唐から輸入した風習だわな。
諱を使わない人が万葉時代にはまだたくさんいた。
家持は諱を使うようになった最初期の人かもしれない。
でまあ話は戻るが、日本人は昔から、
動物や地名や植物の名を人の名に使ってきていたのだろう、
「家持」のような漢字二字の男名、
「高子」のような漢字一字に子を付ける女子名、
というのは、奈良後期にもなかったわけではないが、
平安初期にかなり一般化したということだろう。
たぶん諱というのは、自分の実の親ではなく、自分の上司などに付けてもらう名前で、
それゆえにより社会的であり、公の名であり、社会の一員としての名前なのだ。
烏帽子親というが加冠する人は自分の親ではなく親から依頼されただれかだろう。
偏諱という。二文字の名のうち一文字は貴人からもらう。もう一文字は実父(あるいは養父)
が与える。棟梁ならば一族の通し字を用いる。
そういう儀礼なのだろう。
女性の名前というのはずっとよくわからなかったのだが、
戦国武将の娘の名前がちらほら歴史に残るようになる。
例えば、家康の長女は亀姫。
おそらく単に亀という名だったと思う。
これまた動物名。
妹に振姫、督姫がある。
秀忠の娘に勝姫。勝姫の娘に、ふたたび亀姫。
ほかに、豪姫、寧々。
ほんとにわずかしかわからない。
あとは庶民から側室となった女性の名で喜世、など。
たぶんもうかなり詳細に調べてる人がいるはずだ。
そういや荷田春満(かだのあづままろ)という江戸時代の国学者がいたな。
なぜ「満」をまろと読ませたかったのだろうか。
秀丸はテキストエディタだしな。