「もやしもん」第一巻

投稿者: | 2005年5月28日

研究者というものをよく調べて活写しているわけだが(しかし、白衣を着て細菌を研究してるというのは野口英世のステレオタイプそのままで結構迷惑)、

世界の研究は日進月歩だ。一秒論文を出すのが他人よりも遅れれば数十年の研究も灰燼に帰する。

というのはまー真実なわけで。
以前にも書いたかもしれないが、アインシュタインが特殊相対性理論を発表したとき、世界中にはアインシュタイン予備軍が何十人といただろう。
もしアインシュタインが半年論文の発表を遅らせていればおそらく別の誰かが「アインシュタイン」になったに違いない。
ゲーデルの不確定定理もまた同じ。
ガウスやガロアの時代からそう。
世の中切磋琢磨しているので、社会が漸次発展し新しい理論が生まれる機運が満ちてくると、後は時間との勝負で、誰が先に思いついて発表するかと言う問題に過ぎない。
要はタイミングであって、誰が誰よりよけい頭が良いとか天才だとかという問題ではない。
時代(or社会)が天才を作るのであって天才が時代(or社会)を作るのではない。
個人とか個性を否定するつもりもないが、かと言って個人崇拝はほとんど間違いなく間違いだ。
個人の役割というのはつまり個人的成功報酬を求め時間を争う結果が社会変化を加速させるということだろう。

人間の発想というものは大差ない。
人間の着想は社会情勢や環境によって100%決まる。
それ以外のものが人間の脳から出てくることはない。
それより重要なことは誰が先にやるかということであり、どのくらい早いかということはあまり関係ない。
ただ単に他人より早ければよくそれ以上のことは必要ない。

それはそうと、「一秒論文を出すのが遅れれば」という焦りは今まさに研究テーマに取り組んでいて、ギアを3速から4速に入れた辺りの人だろう。
研究には緩急流行り廃りがある。
ある意味数十年という単位の研究は存在しない。
数十年という積み上げはあるかもしれんが。
研究ネタは数年単位で徐々にシフトしていくし、新しいネタほど速さが要求される。

というのは一般論なんだが、では新しい研究をやるにはどうするかといえば、社会の機運というか運気を眺めつつ、社会が向かいそうな方向性を予見し掴むというところか(笑)。
しかし社会の方向性なんて所詮は誰にもわからん。
偶然としか言えないのでないか。
確率を増すくらいのことはできようが。

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