和歌の本

和歌の本にはある一つの定型がある。
歌人の評伝と歌の解釈からなるのが普通。
ところが今回私が書こうとしたのは、
禅と、和歌と、武士というおよそ三つのテーマがあって、
それらが渾然と絡まりながら発展していく、
その中心には定家があり、承久の乱がある。

こういう本は、普通、和歌を学びたいと思っている人が読んでも、
関係ないことばかり書かれていて読めない、ということになる。
承久の乱について読みたい人には関係のない禅や和歌の話が多すぎるということになる。
禅についてもそうで、読者はすでに禅についてのある種の先入観を持って禅の本を手にとるのであり、
それが栄西とか定家とか泰時のことばかり書いてあるとなんじゃこりゃと思うだろう。
禅の本が読みたい人はふつう道元にしか関心がない。
そこを敢えてはずすのが私の本の書き方というか、
普通の書き方なら私以外の人が書けばいいわけで、わざわざ私が書く必要がないと思える。

で、要するに、
本は、和歌なら和歌のことだけ書かなくてはいけないらしい。
和歌と承久の乱に関係があるとしたら、和歌をメインに、
承久の乱は大根のツマくらいに添えないと本という形にならない。
マグロの刺身と大根が皿の上に並べてあっては料理にならないようなものだ。
普通はそれを調和とは言わない。
和歌の話をしながらいつの間にか話題は栄西に移り、栄西から頼朝、頼朝から泰時に移っていく。
私が好きなのはそんな本だ。
ありきたりの本など読んでいるくらいならWikipediaでも読んだほうがましだと思う。
或いは論文かなにか読んだほうがましだ。
たいていはWikipediaとかオープンアクセスの論文読んでれば足りる。
和歌はデータベースで読むほうがはるかに効率が良い。
あとは、『明月記』とか公家の日記なんかが直接読めればそれでよい。
それ以外の本など読むだけ時間の無駄だ。
いや、読む価値がある、書く価値がある本というのは、
私にとってはそれ以上の「新規な知見」があるものでなくてはならない。

道元の話をしてもいいんだが、
道元は村上源氏で久我氏の出でどうのこうの、だから和歌もうまいし漢詩もうまい、
それに比べて栄西は瀬戸内の豪族で材木商で日宋貿易とも関わりが深く、
平頼盛が檀那だったとか、
どうしてもそんな話になってしまう。
普通の人ならちゃんと道元の話しろよと怒ると思う。

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