後鳥羽院口伝に
> 又、寂蓮・定家・家隆・雅經・秀能等なり。寂蓮はなほざりならず歌よみしものなり。あまり案じくだきし程に、たけなどぞかへりていたくたかくはなかりしかども、いざたけ有歌よまむとて、たつたのおくにかゝる白雲、と三體の歌によみたりし、おそろしかりき。おりにつけて、きと歌よみ、連歌しの至狂歌までも、にはかの事も、ゆへ有樣にありしかたは眞實堪能とみえき。家隆は、若かりしおりはいときこえざりしかど、建久のころほひよりことに名譽も出きたりき。歌になりかへりたるさまかひがひしく、秀歌どもよみあつめたるおほき、誰にもまさりたり。たけもあり心もめずらしく見ゆ。雅經はことに案じ、かへりて歌よみしものなり。いたくたけ有歌などは、むねとおほくはみえざりしかども、てだりとみえき。秀能は身の程よりもたけありて、さまでなき歌も殊外にいでばヘするやうにありき。まことによみもちたる歌どもの中には、さしのびたる物どもありき。しか有を、近年定家無下の歌のよしと申ときこゆ。女房歌よみには、丹波やさしき歌あまたよめり。
とある。
> しか有を、近年定家無下の歌のよしと申ときこゆ。
を、普通は、
> 秀能は、「無下の歌の由」(まったくひどい歌である)と定家が最近言っていた、
と解釈するらしい。
私には、
> さまざまな歌詠みがいるなかで、最近は定家が疑問の余地なく良い歌詠みであると評判である、
というような意味に思えるのである。
この箇所はいろんな当時の歌人らが列挙されているところである。
唐突に定家の秀能に対する反論が出てくるのは変ではないか。
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