鬼平犯科帳再論

ここの記事を整理していて昔自分で[鬼平犯科帳](/?p=20276)について書いたものを見つけたのだが、今とはかなり認識が違っていて驚く。
当時私はまず、さだまさしが出ていたテレビドラマの鬼平犯科帳を見て、次に、私が通院している病院の待合室に置いてあったさいとうたかをの鬼平犯科帳シリーズを読み始めた頃だ。それから刑事コロンボBlu-rayボックスも平行して見つつ、原作全24巻の鬼平犯科帳も読み始めた。

さだまさしが出たのは中村吉右衛門が鬼平を演じる、犯科帳テレビドラマシリーズの最後、2016年のものだ。1969年から2016年まで、50年近くかけて、主演もさまざまに変わりながら、原作をテレビドラマとして骨肉化した最終形態だったと言える。
その後もしばしば他のドラマ版鬼平をみたが、それらは決して原作をそのまま忠実にドラマ化しているのではなく、配役を増やしたり減らしたり変えたり、原作のいくつかのネタを合わせて一本にしていたり、くノ一みたいな女盗賊を加えたりして、かなり脚色している。
原作はほぼ時系列につながった長大なストーリーであって、これをドラマにぶつ切りにしては、見る人は到底理解することはできないだろう。

原作者の池波正太郎はぎりぎり大正時代に生まれ、前近代的雰囲気を残す江戸をある程度まで実体験し得た人だ。だからこそ町の雰囲気や、情景描写や、あと盗賊のあだ名の付け方などに非常にリアリティがある。今の人がどんなに想像を膨らませてもあんな盗賊の名前は思いつかないだろう。
テレビドラマではそこらのディテイルがかなり削られ、現代風に相当様式化されていて、リアリズムを失っている。1950年代に作られた時代劇が今の時代劇とは全然雰囲気が違うのと同じだ。
例えば今の時代劇には、田舎の河原や田んぼでヤクザどうしが大勢でチャンバラをするなどというシーンはほぼ出てこない。たいていどこかの武家屋敷の中庭辺りで斬り合うばかりだ。しかしおそらく昔は、つい最近まで、こうしたヤクザどうしの喧嘩が見られていたのではなかろうか。昭和残侠伝や、あるいは鬼平の原作などでは刀の他に槍や弓矢も出てくるが、こうした道具は今の時代劇で出てくることはほとんどなく、刀と刀のいわゆる殺陣という形に様式化され、多様性を失っている。

さいとうたかをの鬼平犯科帳は比較的原作に近く作られているほうだと思う。

原作に関して言えばこれだけ長い小説をこれだけ中だるみもせずに書けたのはすごいと思うが、おそらくこれは池波正太郎一人の力というよりは、取材やシナリオ作りを大勢のスタッフが助けたためと思われる。こういうプロットがしっかりしていて、人気がある小説というのは、出版社としても金づるだから、元手も人手もたっぷりかけたに違いない。それは刑事コロンボも同じだったはずだ。

吉川英治が書いた太平記や平家物語は実際現代小説を単に舞台だけ過去にもっていった時代小説にすぎなかった。あんなものを読むくらいなら普通に現代のサラリーマン小説を読んだ方がましだ。
しかしながら、少なくとも原作の鬼平犯科帳は、野村胡堂や岡本綺堂らにリスペクトを払いつつ、松平定信時代の江戸を忠実に再現しようという明らかな意図をもって書かれたものだと思う。恐るべき傑作だと思う。
残念ながら、『相棒』にせよ『古畑任三郎』にせよ、刑事コロンボほどの金と人手はかけられないと思うよ。

これだけ私がこうした刑事物にのめり込んだのは私自身『潜入捜査官マリナ』という警察捜査ものを書いたからだ。
いろんな刑事物を読みつつ『マリナ』にはかなり加筆修正を加えた。
自分で書くことによって他人の作品も何倍も面白く読めるし深読みできるようになるしもちろん執筆の参考になると思う。

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