人というものはもともと野生種であった。
その人を栽培種に変えて、家畜に変えて、君臨することを覚えたのが王であった。
農業も、そして宗教も、王が他人を民として飼いならすために作ったものだった。
他人を民として飼いならすことができた者が王となった。
したがって宗教というものはもともと王がつくったものだった。祭政一致。古代、王とは国の所有者であると同時に、国教の祭祀長であった。それがホモ・サピエンスという種における、生物学的に天然自然な状態である。ゴリラがハーレムという社会単位を作るのと同じだ。
しかしながら、しだいに民の間から勝手に宗教が生まれ始めた。
中世になると、民の間でうまれた宗教を取捨選択して、採用することによって王は安定を得るようになった。王はもはや勝手に宗教を作ることはできなくなった。ここにおいてついに、王とは別に聖職者が生まれ、聖俗の権威が分かれた。
いや、もともと、宗教は民が作ったものだったのかもしれないが、それをうまく統治の手段としてコントロールできたものが王となったのだったが、王による宗教の独占は次第に難しくなっていった。そのうち王が追放されて寡頭政や貴族政となった。共和国というものがでてきて、ますます宗教は民によってコントロールされるようになり、民というものが意思を持って国を経営し宗教を規定するようにもなった。
そういう太古においては、王による民のリクルート活動というものが国を作り、国が農業や宗教を必要とした、ということを仮定したとして。
キリスト教ができたのも、古い多神教よりも、一神教のキリスト教のほうが国というものを治めやすかったからローマ帝国の国教となった。ギリシャ・ローマの宗教はシリアやエジプト、ペルシャへと連続的につながっている。一方キリスト教は国が一から専売特許にしやすい。教義を国の主導で統一しやすい。家元制にしやすい。宗教的権威を独占しやすい。ローマ皇帝にはそれが魅力だった。後のフランク王国や神聖ローマ帝国、モスクワ大公国でも同じことだ。自然発生的に生まれた多神教は民が勝手に自分の都合が良いようにカスタマイズするので王が制御しにくいのだ。
アショカ王も仏教のほうがバラモン教よりも国を治めやすいから仏教を国境に採用した。仏教は、理由は良くわからないが、明らかに王が中央集権的に民を治めるために都合が良いから流行したものであった。奈良時代の日本を見てもわかる。アホみたいにでかい仏像を作ったり。あほみたいにでかい寺院を作ったり。そうやってエジプトのピラミッドのような役割を鎮護国家のための仏教は果たしていた。鎌倉以降の仏教はまた別として。それはカトリックとプロテスタントの違いにも似ている。
そう。古代の中央集権国家は中世の地方分権の封建制に移行した。そこで、地方分権により適していたプロテスタントがカトリックから分かれた。プロテスタントは日蓮宗や浄土真宗などと同じだ。
インドでは民が仏教を嫌って昔のバラモン教にもどりそれが今のヒンドゥー教になった。
イスラム教は結局、中央集権でも地方分権でもない。そんなものをみんなすっとばして、王国というものの存在を必要としない国家と国民のために、或いは世界市民のために、コスモポリスのために、人類の中で多数派となって影響力を行使することを目的とした宗教といえる。
コスモポリスという考え方が生まれたのは明らかに西アジアである。もっとも古い文明をもつ西アジアにおいて王は生まれ、そしてもっともはやく王は否定されたのだ。すべての宗教は西アジアに生まれ、伝播し、変わっていく。残念ながら西アジアにイスラムに代わる宗教が生まれるきざしは今のところまったくない。人類は今後何百年もイスラム的一神教に支配され呪縛されるだろう。非常に不幸なことだが。人類とはしょせんその程度のものなのだ。
おそらく。類人猿の中でホモ・サピエンスはもっとも、民が王を持ち、王が民を持つことに優れた種なのであろう。そのため他の種を圧倒して滅ぼした。そのために宗教というものが必要になった。神が人を作り、人が王と民に分かれたのではない。すべては逆なのである。神→王の関係を仮定することによって、王→民の関係を説明できる。ただそれだけのために神というバーチャルな存在が仮定されたのである。神→王がバーチャルな関係であるように王→民の関係もバーチャルなものに過ぎない。神の前に人は平等という概念を敷衍することによってコスモポリスはより容易に説明できる。だから神はコスモポリス、世界市民、世界社会のためにも必要とされた。しかしいったん世界社会が完成すればもはや神の存在を仮定する必要もない。王が民に捨てられたように、そのうち神は人に捨てられる運命にある。