現代短歌

今、現代短歌と言っているものは、現代口語で五七五七七になっているだけで、別に都々逸でも良いわけだ。七七七五で作っても五七五七七で作っても大差あるまい。

今様みたいに七五七五七五・・・で作っても同じだろう。

現代口語だけどたまたま五七五七七にあてはまっているものを短歌と言ってありがたがっているわけだが、そんなものにいったいどんな意味があるんだろうか。

都々逸は別に口語でも文語でも古語でも現代語でも好きなように混ぜて詠めば良いだけだから、わざわざ現代短歌なんか詠む必要ないじゃないか、みんな都々逸詠めばいいじゃないかと思う。

私はときどき都々逸も詠むが、まあふつうで、別に面白くもなんともない。ただの短い定型詩だ。

だれか、都々逸ではなくあえて短歌で詠まなきゃならない理由を説明できる人なんているんだろうか。あきらかに都々逸のほうが短歌より詠みやすいし、現代語にあっているし、便利だと思う。

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