老人になったことを認める

できるだけ早く自分が老人になったことを認めて楽になりたい、と思う一方で、自分の周りにいる60過ぎの人たちは、そんなことはまったく気にもしてないようすで、そのギャップに困っている。要するに自分の気持ちの持ち方の問題なのだが、自分は老人だと認めたほうが気持ちが楽になるのか、老人であることを認めない、というより気にしないほうが気が楽なのか。いずれにせよ、体力とか病気とか年齢の問題では必ずしもないようにも思える。

もう早いところ老人であることを認めて定年退職したい、という気持ちが強い。私は若い頃は道楽させてもらって、一年浪人した上に博士課程まで進学させてもらった。浪人生の期間を含めて10年間(学部期間を除けば6年間)も、就職するのが遅かったのに、60才になったらさっさと引退したい気持ちでいっぱいだ。とにかくもう働くのに飽き飽きした。大塩平八郎なんて40才で隠居して私塾を始めた。そういう身分になりたいものだ。

私の人生の楽しみはといえば夜飲み歩くことと、本を書くことだったと思う。文章を書くことはだいぶうまくなったように思うが、それは、私が本を書くことがうまくなったから、というよりも、一度書いたものを長い時間をかけてじっくり推敲するテクニックを身につけたからのように思える。年を取って面白いことを書けるようになったから、ではないと思う。面白いことを思いついたり書いたりするにはやはり若さが必要だとも思う。

まだしばらく面白いことは書けるかもしれないが、頭がぼけて固くなってきて書けなくなっていくと思う。あと5年以内にそれは来ると思っている。推敲すればするほど文章は磨かれて良くなっていくがものすごく精神的に疲弊する、ということもわかってきた。書いて書きっぱなしは気持ち良いが読み直して後悔する。これって酒を飲んで酔っ払うのに似ている。書いたら書いたで責任が発生して、それが死んだ後まで残るかと思えば、そのことがものすごく重荷に感じるようになってきた。自分が書いたものに縛られて、気が休まらないのだ。私ももうずいぶんとものを書いてきたので、もうこれ以上書かなくても良いのではないかと思える。これ以上書けば書くほど精神的な負担が増えるだけな気もする。少なくとも小説はもう新しく書く必要はないと思っている。今までに書いたものを手直しするだけで私の寿命は尽きてしまうだろう。

ただまあこういうブログのような文章はただのはけ口なので、あまり気にせず、気楽に書こうとは思っている。考えているとだんだん精神的に自分を追い詰めてしまう。それを書くことによって気分が楽になるとか、気持ちが整理されるということはある。誰かに読ませたくて書くというよりは、自分を納得させるために書く、というかな。

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