鎌倉宮の謎

投稿者: | 2010年1月13日

鎌倉宮創建は明治2年、明治天皇わずか17才。
明治天皇の直接の意思で創建されたとは考えにくい。

思うに、鎌倉宮のほど近くの山中に、大江広元と島津忠久、毛利季光の墓が江戸時代に作られたとあるが、
長州と薩摩がわざわざ同じ場所に、鎌倉幕府の故知に祖先の墓を作るというのはこれはただごとではない。
もしやすると、江戸時代と言っても末期、薩長同盟の成ったあとに徳川幕府転覆を祈念してここに墓を建てたのではなかろうか。
碑文を良く読むとわかるかもしれん(碑文はしかし維新後のものかもしれんなあ)。
明治新政府の意思とはつまり薩長の意思であって、
維新成立後速やかに鎌倉宮が創建されたのもまさに同じ意図によるか。

ふむ。どうも、島津氏の墓が先にあってあとから毛利氏の墓が移設されたようだ。
なるほど。頼朝の墓も薩摩藩主・島津重豪が整備したのか。
で、途中にあったのが三浦一族の墓なのだな。

東京招魂社も明治2年創建。
もともと招魂社は長州藩に1865年に最初に作られ、
東京招魂社も長州藩の大村益次郎が献策している。
もしかすると鎌倉宮も長州関係かもしれない。

というか、鎌倉宮はもともと東光寺という寺だったそうだから、
単に、廃仏毀釈運動と連動して創建されただけなのかもしれん。

ええっと東光寺という寺は当時すでに廃寺だったらしい。

> 旧暦・明治2年(1869)2月起工、6月20日神体が決定、7月21日社殿落成、鎌倉宮と命名、創建される(「明治天皇紀 第二」宮内庁 昭和44年 吉川弘文館)

やっぱちゃんと天皇紀を読まなきゃだめか。

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