九条良経と後鳥羽院

九条良経の歌というのは、今で言えばファッション雑誌を見て、どこかのシャレオツな店のマヌカンに選んでもらって、金持ちのボンボンだからいくらでも高い買い物ができる人が着るような服、といえばわかり良いだろう。そして世の中にはそんな金持ちの慶応ボーイみたいな歌が好きな人が一定数いるのも事実だ。それなりの需要はあるのだ。それはそれとしてそういう歌をうまいとか絶唱とか褒めるのはやめてもらいたいと常々思っている。ジャニーズのイケメンがかっこいいのは当たり前じゃないか。

九条良経の四歳下の妹任子は後鳥羽院の中宮なので良経と後鳥羽院は、血はさほど近くはないが義兄弟である。この二人の歌は良く似ている。ほとんど区別できないこともあるが、だいたいにおいて後鳥羽院のほうがうまい。後鳥羽院は後鳥羽院で、それなりに苦労はしているので、そうした生まれ育ちが歌に微妙な屈折を与えている。良経にはその屈折とか鬱屈というものがまるで無いように見える。

後鳥羽院にはあの腹違いの兄安徳天皇がいるわけだから、それが性格に暗い陰を落とさないわけがない。後鳥羽院は生涯九条家と鎌倉武士に頭を押さえつけられて生きていた。京都武士に多少そそのかされたということはあったかもしれないが、後鳥羽院が自ら倒幕などという大胆な改革を思いつき実行しようと企んだということはほとんど考えにくいと思う。それに京都武士らにそそのかされたのはむしろ順徳院であって、後鳥羽院は息子と取り巻き連中の暴走を制御できなかった、というのが正解であるはずだ。

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