大和言葉と漢語は普通は混ざらない

大和言葉だけで和歌を詠むのは難しいのではないか、大和言葉だけでは語彙が足りない、表現の幅が狭いので、口語や英語などを混ぜて詠まないと詠めないのではないか、と考える人がいるかもしれない。私も最初和歌を詠み始めたころはそうだった。

私の場合最初は、九州弁と東京弁がまざったような変なしゃべり方をしていたが、やがて普通に東京弁でしゃべるようになり、九州弁は忘れてしまった。しかし九州に帰って周りがみんな九州弁をしゃべっているといつの間にか九州弁でしゃべっている。

英語でしゃべるのも同じで、日本語と英語をごちゃまぜにしゃべるほうが実は難しく、英語をしゃべっているときは人は英語の脳になっているし、日本語をしゃべるときには日本語の脳になっているはずだ。日本語と英語とドイツ語がしゃべれる人がいてもその三つの言語をまぜこぜにしゃべる人はいない。普通は。

和歌もそうで、大和言葉だけで詠むと決めて詠んでいるうちに、口語や漢語なんかは自然と混ざらなくなるはずだ。そのうち漢語を混ぜようと思っても簡単には混ざらなくなる。

語学としてみれば当たり前のことなんだが、和歌もまた一種の語学であり、大和言葉もまた一種の語学のはずなのだが、今の世の中、大和言葉だけでものを読んだり、会話したり、和歌を詠む人がまったくいないので、それがわからなくなってしまっている。

平家物語は和漢混交文ではないかというかもしれないが、あれはあれで一つの特殊な文体なのであって、平家物語の文体を真似てものを書いたりしゃべったりすることはできなくはないかもしれないが、そうではなく、完全にオリジナルに、一から和文と漢文を混ぜてしゃべりなさいと言われても、普通の人がいきなりしゃべれるようになるはずがない。

そもそも大和言葉のすべてが和歌に使われるわけではない。そんなことは誰にもできない。大和言葉のうちから少しずつ、だんだんに歌に使われる歌語というものができていく。詩語というものができていくのである。それは現代短歌でも同じはずだ。口語をそのまま歌にできるわけではない。みんな誰かほかのひとがすでに詠んだ歌から影響を受けて歌を詠んでいる。一から歌が詠めるわけではない。一から歌を詠めるのは天才しかいない。

みんな自由に口語で歌を詠んでいるというのは錯覚にすぎない。

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