史観を否定するために新たな史観を作るのはどうか。

司馬遼太郎「手堀り日本史」の中の「史観というフィルター」という一文があってこれがくせ者だ。

> 楠木正成の時代、このにぎやかな時代がつまらぬ時代であるということ

とあって、戦前、義経、正成、秀吉、この三人が国民的英雄であったが、
戦後、正成だけがその地位から脱落したのはなぜか、という問いかけをしている。
なるほど、これはもっともらしい問題提起に見えるが、一種のトリックに過ぎない。
今なら三大国民英雄と言えば誰だろうか。義経、秀吉、龍馬といったところか。
しかしそれも司馬遼太郎によって正成と龍馬の首がすげ替えられたに過ぎない。
戦前と同様にきわめて不自然なものだ。

楠木正成がよくわからん人というがそれは当然だろう。
高氏や義貞に比べるとあまりにも身分が低すぎる。しかも南朝なので、
公家の日記にもほとんど記述が残っていない。正成について書かれているのは太平記くらいしかない。
まあそれを言えば義経ですらそうで、ほとんど公式の記録は残ってない。
ほとんどは後世の脚色に過ぎない。

> 南北朝の時代には、時代の美意識がない。・・・現実は果てしもない利権争いの泥沼というだけのものが、水戸史学のフィルターにかけられて、一見すばらしい風景にみえるんです。

とあるが、平家物語の中の義経だった同じことだ。
あの仏教臭く、脚色だらけの嘘八百の平家物語のフィルターを取っ払ってみれば、ただの利権争いの泥沼しか残らん。
そんなことは少しまじめに歴史と向き合ってみればすぐわかることだ。
同じことは戦国時代にも幕末維新にもあるし、同様に日本の近現代にもある。
フィルターなしで眺めてみれば歴史というのは常にどろどろの利権争い以外の何ものでもない。
だが、司馬遼太郎にして見れば、鎌倉武士やら戦国武将やら幕末維新の志士にはそれがあると言いたいらしい。
一方で南北朝や室町や昭和にはそれがないと言いたいらしい。
それが史観というものだ。
司馬遼太郎は、戦前の史観がにくくて仕方なかったのだろうが、
それを否定するために新たな史観をこしらえてしまった。
どちらがどれほど悪だろうか。
言わせてもらえば彼の史観は決して立派なものではない。
非常に不完全なものだ。
もうちょっとどうにかならなかったのだろうか。

いくつかリンクを貼っておく。

司馬遼太郎が「南北朝時代」を書かなかった理由が分かった
[その1](http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-424.html)
[その2](http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-426.html)。

平敦盛の話は、平家物語(或いは源平盛衰記)にしか出てこないわけだが、
これを時代の美意識というのだろうか。
こういうものを時代の美意識と言って良ければ、太平記だって時代の美意識だろう。
だが、太平記を否定しているくせに平家物語、あるいは吾妻鏡はそのまま、まるで歴史的事実であるかのように受け入れている。
あまりにひいきが過ぎないか。
畠山重忠、梶原景季にしても、何がそんなに面白いのかさっぱりわからない。
景季が梅を挿したというのは源平盛衰記だけにある。
つまり後世の作り話ということだろう。
そういうものを時代の美意識というくらいならなぜ太平記を(以下同文)。
ただの個人的な好き嫌いに過ぎないじゃないか。

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