小林秀雄に、昭和35年に書いた「東京」という短文があるが、そこに
独酌に好都合な飲み屋は、戦前までは、東京の何処にでもあつたのだ。料理も出ないし、女もゐないが、酒だけは滅法いい。さういふところには、期せずして独酌組が集まるものらしく、めいめい徳利をかかへて空想したり、考へ事をしたりしてゐた。ああいふ安くて極めて高級な飲み屋が広い東京のことだ、まだ一軒くらゐありはしないか、と時々思ふ。
などと書かれていて、料理が出ないというのはつまり、乾き物くらいは出たのだろうし、女はいないと言っても酌婦の婆さんくらいはいたのだろう。つまり今で言う、しゃれた小料理屋というのではない、普通の居酒屋のことを言うのだろう。
戦前の「滅法いい」「極めて高級な酒」というのがどういうものだったか。まったく見当もつかない。ただ酒を飲みながら一人で考え事をしているというのも、今の雰囲気とはだいぶ違うように思える。
似たようなことを書いている記事をみつけた。もひとつ。菊正宗のようなものであろうか。
晩酌の酒は、ふだんは灘の「菊正宗」だったが、これも、「菊正宗」であればよいというものではなかった。今では造り酒屋の蔵から町の酒屋の売場まで、輸送や保管にあたっての品質管理もすこしはマメに行なわれるようになったらしいが、先生がお元気だった昭和四十年代、五十年代はその方面の意識そのものが低かった。
先生は、家で飲む「菊正宗」は、そのあたりのことをよく知っている酒屋から買っていた。
なるほど、菊正宗の中でも上等で、しかもよく管理されたものを好んでいたということか。
菊正宗は確かに甘ったるくなく、燗に適している。温めるとそれでもそれなりに甘くはなるが、味けない端麗辛口などよりは良い。
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