氷川清話

今更だが、「氷川きよし話」、ではない。
江藤淳・松浦玲編「氷川清話」を読み返すと、
いろいろ読み飛ばしていることに気づく。

頼山陽について、二箇所ばかりでてくる。
一つは、自作の川柳だか俳句だかとくらべて山陽の詩
「泊天草洋」を「まだまだ小さいヨ」などと評しているところだが、
これはどうだか・・・。むしろ山陽の詩のすぐれているのを再確認したくらい。
天草灘に沈む西日はさぞかし雄大でうつくしかろうなと思った。

> 三囲(みめぐり)の社に続く干割れ田を神はあはれとみそなはさずや

これもどうもなんとも言いようがない、というか、
良いとも悪いとも言いようがない雨乞いの歌だが、
「おれも歌も天地を動かし鬼神を哭かしむるほどの妙がある。大野小町や室井其角にも決して負けない」
などと言っている。
小野小町の歌とはつまり

> ことはりや日の本ならば照りもせめさりとてはまた天が下とは

だろう。
筒井康隆の初期の短編SFに出てきたような。
本人の作じゃないよね?
其角の雨乞いというのは

> 夕立や田を三囲の神ならば

この俳句らしいのだが、ますますわからん。

もう一箇所は、北条義時をほめて「頼山陽などは、まだ眼光が小さいワイ。おれも幕府瓦解のときには、
せめて義時に笑われないようにと、幾度も心を引き締めたことがあったっけ」などと言っている。
こちらもどうも頼山陽の誤読のような気がしなくもない。

陸奥宗光が死んだときに詠んだ歌として

> 愚かなる女もたけきもののふもつひにくさむす屍なりけり

というのがあるが、これはどう見てもひどい。
元勲を詠むといって

> 時ぞとて咲きいでそめしかへり咲き咲くと見しまにはやも散りなむ

これもどうにもこうにも。まあこういう調子。

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