読書は冒険

あいかわらず小林秀雄宣長本13章辺り。
ややはしょって引用するが、

> 文学の歴史的評価というものは、反省を進めてみれば、疑わしい脆弱な概念なのであるが、
実際には、文学研究家たちの間で、お互いの黙契のもとにいつの間にか自明で十分な物差しのような姿をとっている。

> 過去の作品へ至る道は平坦となってもはや冒険を必要としないように見えるが、
傑作は、理解者・認識者の行う一種の冒険を待っているものだ。
機会がどんなにまれであろうと、この機を捕らえて新しく息を吹き返そうと願っているのだ。
もののたとえではない。
宣長が行ったのはこの種の冒険だった。

なかなかおもしろい。宣長を語りながら自分自身を語っているのだろう。
傑作は冒険者を待っており、そのまれな機会を利用して何度でもよみがえろうとしている。
読書とはそういう種類の冒険であると。

ふーむ。
「まこと」と「そらごと」を超えたところにあるのが、創作だろうし、
ファンタジーというものだろうな。
現代のオタク文化に通じる肝酢。

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