院政

院政は白河上皇に始まり、後鳥羽上皇に終わるという。
時代で言えば平安末期から鎌倉初期、
保元・平治の乱から承久の乱まで、
源平合戦から北条氏執権確立までなわけだが。

院政とは、天皇家が家父長制を強化して外戚藤原氏に対抗し、特に、政治的実権というよりは、
相続争いの主導権を天皇家自身が獲得したいと考えたからだと言われる。
外戚の藤原氏に勝手に天皇を廃立されたくないので、自分がまだ健康なうちに後継者を自分の意志で決めて譲位する、
あるいは幼い天皇が崩御したときに摂政関白ではなく上皇が引き続き政治を行う、ということだろう。

藤原道長は源頼光ら武士団を味方に付けて四天王と称した。
その後も藤原氏は主に源氏に身辺警護をさせてきた。
これに対して上皇は北面の武士を設けたがその主力は平氏だった。
院政は始めのうちは天皇家が藤原氏を牽制するためにあったのだが、
藤原氏側に源氏が、天皇家側に平氏がつくようになり、
次第に源平の代理戦争の様相を呈してくる。

後白河法皇の時代には清盛をあまりにも寵愛したために、もうわけわからなくなってきて、
藤原氏以上に平氏が力をもってしまった。
後鳥羽上皇の時代には武士があまりにも力を持ちすぎてしまい、
天皇対藤原氏という構図自体が無意味になっていた、ということでよいか。

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